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2019年01月22日(水)
アメフト悪質タックル問題、事情を知らない第三者の恐ろしさ

(写真:日本大学アメリカンフットボール部PHOENIXオフィシャルサイト)

 

今月6日、日本大学対関西学院大学のアメリカンフットボール部の試合で日本大学の選手が関西学院大学の選手に悪質なタックルを行い、タックルを行った選手が顔や名前を公表し記者会見を行う異例の事態となった。

 

この選手の主張によれば自チームの監督やコーチが「QS(クォーターバック)を潰せ」と指示し、従うしかなかったという。もしこれが事実であれば、被害を受けた関学の選手だけでなく、悪質タックルを行った日大選手もある意味被害者だ。選手を追い込んだ監督、コーチの責任は当然重いものになる。

 

これは決して特殊な話ではない。私たちは生きていく上で必ず組織や集団に所属することになる。所属意識が高かったり、上司や指導者、目上の先輩から指示をされれば、組織に逆らうことはできない人が多いだろう。組織や集団にいれば「善悪の判断」よりも「組織のため」が優先されがちだ。日大の選手に限らず、逆らえず追い込まれてしまい、「やるしかなかった」と言う人はこの世の中ゴマンといるだろう。私自身も同じ立場に立たされれば、拒否できたかと言われれば言葉に詰まってしまう。

 

話題になった映画「ハンナ・アーレント」のアイヒマン事件を想起させると言うつぶやきを見たが、まさにそうだ。いつの時代も、どこにでも付きまとう問題であり、批判している人間だって決して他人事ではない。

 

一方、日大の監督とコーチはそれぞれ辞任したが、「私からの指示ではない」「けがを目的で言ったのではない」と記者会見で主張した。世間では監督・コーチへの批判が殺到しているが、否定している以上彼らの主張にも当然耳を傾けなければならない。真っ向から対立する2つの意見。心情的に20歳の若者の勇気ある告白を信じたい心情も理解できるが、第三者の立場としては推移を見守ることしかできない。何もかも決めつけることは危険だ。

 

負傷した関学選手の父親が警察に被害届を出し、刑事告訴も検討しているという。意見が対立している以上、刑事でも民事でも司法による判断を待つしかない。注目度から見てもマスメディアが取材を進めていくだろうし、部員による証言もいずれは出てくるだろう。真相はいずれ明らかになっていくはずだ。それを待ちたいと思う。

 

事情を知らない第三者による晒し行為は問題だ

 

現状での認識そんな感じなのだが、私がこの問題でもう一つ議題にあげるべきなのは第三者による晒し行為である。

 

悪質タックルを映した動画がSNSを中心に拡散されていくと、悪質タックルを行った選手を特定し、名前と写真を晒す行為が横行した。「社会的制裁は当然だ」という正義マンがたくさんいたようだが、その選手が顔出しで事情を会見で説明して以降は、世論の選手に対する姿勢は大きく変わった。

 

事情を知らない第三者が「悪」だと決めつけ、名前や顔を平気で晒してしまった。しかし、事情を聞いたら手のひらを返すように「選手には頑張って欲しい。監督が許せない」と方針転換。その行為のせいで選手や家族、関係者は精神的に追い詰められたはずだ。それはあまりに無責任な行為ではないか。

 

事情を知らない第三者の正義感とは実に恐ろしいものである。先入観や偏見によって、社会的制裁を受けてしまうのだ。何事にも厳しく、一成人に対しては成熟さを求める声が多い割に、こうした一方的な世論の風というのはいつだって未成熟に見える。これを問題視せずに放置しておけば、そのうち誰かが自殺するまで「未成熟な正義」が蔓延し続けてしまうのではないか。

 

自殺者が出て初めて社会問題に発展し、そのコメント欄では「善人たちの意見」で溢れかえるだろう。自然に想像出来てしまうのが厭になってしまう。誰もが分かっていることなはずで、そうなる前に「成熟さ」を善良な国民は求めてもらいたい。成熟した社会であることを望むのなら。


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