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競争社会が産み出す仕事の高度化、人間はどこまで耐えられるのか

 
人類はとどまることなく発展する。発展なくして、国の繁栄はありえない。他国に負けないように、同業他社に負けないように、隣に座る同僚に出世で負けないように。我々は競争社会のなかで常に結果や勝つことを求められ続けている。発展しなければ、他国から追い越され国民の生活は危機を迎える社会システムだからだ。そして個人においても、他人に勝たなければ自ら生活を営むこと、豊かな生活をすることはできない。生きるためには競争は避けては通れないのだ。

 

発展するためには競争は必須だ。しかし、過剰な競争社会は人間に大きな負担を強いている。人々が便利な生活を送れるようになったということは、誰かが犠牲になっていることを意味する。過剰なサービス、義務的なプロフェッショナル精神、「耐える」という美徳。人間の自然な感情や行動を我慢し、排除することをこの国ではプロフェッショナルと呼び、称賛するかと思えば、それが当たり前という共通認識を持っている。

 

そんな競争社会の結果、人間の仕事は年々高度化している。「成長」という良い響きを感じさせる言葉を用いて「仕事の高度化」を競争社会が促し、人間はどこまでその高度化に耐えられるのだろうか。同業他社が高度なサービスを提供すれば、それよりも高いサービスを目指し、そして人間はそれについていかなければならない。ストレスがたまり、余裕がなくなり、荒れ狂う人間が出てくるのはむしろ必然なのかもしれない。前記事で書いた通り、常識という教義を徹底的に守り、発散する場所もなく、ストレスだけが溜まる一方なのだ。

 

その余裕のなさが、炎上で悪いことをした人間を見つけ出した瞬間、袋叩きにしてストレスを発散させている。正当な理由さえ見つければ、好き放題叩けるからだ。成功した人間が落ちぶれれば、ここぞとばかりその波に乗っかりスッキリさせる。SNSやネット社会はそのストレス発散に大いに役立っている。生きにくさを感じるのも、ストレス社会なのも、自殺者が多いのも当然だ。

 

さて、我々はいつまでこの過剰な競争社会を続けなければならないのだろうか。日本だけ競争社会から降りるのは国民が許さないだろうから、しばらくこの社会は続くだろう。限界を迎えるまで、続く可能性もある。発展が必要ないと言っているわけではない。しかし、過剰な競争社会では一部の人間以外人々の幸福感は次第に下がっていくだろう。時代が変化するスピードが速すぎる現代では、早急に世界中で考えなければならない議題だ。だが、そのめまぐるしく変わるスピードを「成長」と手放しで喜んでいいものだろうか。


  

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