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岡村氏ラジオ発言 番組降板は反対だ

(写真:岡村隆史のオールナイトニッポン公式サイトより)

 

お笑いコンビナイティナインの岡村隆史さん(49)がパーソナリティーを務めるラジオ番組『岡村隆史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で「コロナが収束したら美人さんがお嬢をやる」などと発言し、炎上した。この発言を受けて署名サイト「change.org」では岡村氏のNHK教育系番組の降板を求める声や、それが出来ないなら「フェミニズムについて勉強する」特集を組むべきだという声があがっている。

 

岡村さんの発言が炎上したのは、リスナーから「コロナの影響で今後しばらく風俗に行けない」という悩みに答えた部分。

 

「今面白くなかったとしても、コロナが収束したら絶対面白いことあるんですよ。なかなか苦しい状態がずっと続きますから、コロナ明けたらなかなかの可愛い人が短期間ですけれども、美人さんがお嬢をやります。なんでかって言ったら短時間でお金を稼がないと苦しいですから」

 

「これ僕3か月やと思ってます。3か月の間、集中的に可愛い子がそういう所でパッと働きます。んで、パッとやめます。だからコロナ明けた時のその3か月だけ、え?こんな子入ってた?っていうような人たちが絶対入ってきますから」

 

「だから今我慢しましょう。そのために今、我慢して風俗に行くお金を貯めとき、仕事ない人も切り詰めて、切り詰めてその3か月のために頑張って今歯を食いしばって踏ん張りましょう」

 

この発言が「貧困になって困った女性が出て、その人が風俗で働くことを楽しみに待っている」と多くの人が捉え、「コロナによって弱き者が出れば、自分の利益になる」そんな彼の考え方に拒絶反応を示す人がいたということだろう。多くの人が批判・拒絶反応を示すのも自然な流れだ。その拒絶反応の多さが「炎上」という結果を生み出した。それはそれで一つの社会の形だ。

 

降板を求める署名運動には賛同できない

 

これに対してジェンダーの平等を目指すと標榜する団体らが「女性軽視発言をした岡村隆史氏に対しNHK『チコちゃんに叱られる』の降板及び謝罪を求める署名活動」を署名サイト「change.org」で起こした。5月4日現在で1万3900人もの署名が集まっている。さらにKutoo運動を始めたことで知られる石川優実さんが同サイトで「#岡村学べ ナインティナイン岡村隆史さんを起用し、女性の貧困問題やフェミニズムについて学べる番組を制作・放送してください」というキャンペーンをはじめた。こちらも3万806人の賛同者が集まった。岡村さんの発言に対して「怒りの声」を挙げ、反対を表明する手段として「署名活動」はあってもいいだろう。

 

しかしながら、私個人としてこの署名には賛同できない。彼の考え方は確かに下劣なものであることに異論はないが、そう考える人間がいるのも事実だ。その事実に対して「違う!」と批判するのもこれまた自由。そして彼はその批判を受けて謝罪することになった。人間だれしも下劣な面は持っているもの。彼の下劣な考えを批判することは出来ても、仕事を奪ったり、晒しものにすることを多くの賛同者という「外圧」を用いて要求することに恐ろしさを感じてしまう。国などの強大な権力を持った相手ならまだしも、一個人相手にだ。自らの主義主張が正しければ、岡村さんの仕事を奪い、本人の意思とは関係なく、「学ぶ機会を作る」という体のハラスメントのような提案をしてもいいのか。この署名に賛同者が多くいる事実は尊重しなければならないが、個人としてこの署名に賛同することはできない。

 

実際多くの人々が岡村さんの発言より、署名を起こした人たちの考え方に「賛同」するだろう。貧困になった女性が出てくることを望み、それを性的に利用しようとする発想は野蛮だと。それでもその「正しさ」とやらを、武器にして絶対視し、人の思想や彼自身の内面を強引に変えてしまう正義というのもまた野蛮だ。

 

「許せる」「許せない」もまた自由

 

岡村さんは芸能人であり、この発言によるイメージダウンは避けられないだろう。謝罪しても「許す」という意見もあれば、「許さない」という意見もある。それもまた自由。許さないという声が多ければ自然と彼の仕事はなくなっていくだけだ。私個人としては彼自身の歪んだ価値観の一端が現れたに過ぎず、「不適切」「下劣」と感じるものの彼にその考えを改めさせるべきなどという正義感は持ち合わせていない。その歪んだ面も含めて「岡村隆史」という人物なのだとおもう。公衆の面前で説教を受け、謝罪をしたのなら、その過ちを許すことに異存はない。

 

これはその考え方を許容するというよりは、そういう人がいる事実を受けて「間違い」だというなら、どういうところが間違っているのか批判の声を挙げる。間違っていないというなら間違っていない理由を挙げる。それでいいと思うのだ。どんな下劣なことを考える人間であれ、そこに強制的に介入することはできない。そういう人たちとどのように向き合っていかなければならないか、対話や批判によって考えを改めさせる機会を作っていくのがベターだろう。

 

そして、私個人の考えにも歪んだものはたくさんある。すべてにおいて社会的に正しい考えをしているわけではない。多くの人も多少なりとも「歪んだもの」があるはずだ。それが社会に露呈してしまったとき、多くの人から批判を受けるだろう。それでも自分の考えが正しいと思えば、それを正す必要はない。岡村さんも、この署名活動を行っている発起人たちもそうだ。そして、間違っていたら謝罪し、訂正する。すべて正しいことができる人間ではないからこそ、過ちがあるなら素直に自分の過ちを見直して、謝罪なり反省すればいい。社会はその過ちを徹底的に糾弾するのではなく、まずは見守ることが必要なのではないか。過ちを犯し反省した人間を見守ることを失った社会に、私はむしろ絶望を感じてしまう。

 

私個人の意見としては上記のようなものだが、署名をしている彼女たちの意見を奪うべきでないのも確かだ。「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」かつてヴォルテールが言った言葉を実践してこと民主主義の国であることを忘れてはならない。岡村氏、署名の発起人、賛同者、批判者、私…「自由な言論活動」が出来るのって、ああ、なんと素晴らしいことか。


  

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