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2019年01月23日(木)
政治は戦争だが、大人たちの姿が若者の政治離れを加速させる

(写真:デモを行う人々=midorisyu氏撮影)

 

衆院解散後、ワイドショーや新聞は当然ながら政治の話で持ちきりだ。ところが私の知人や友人のSNSの投稿を見て見ると、解散したことが嘘のように政治の話はまったく見当たらない。ゲームやアニメ、自分の趣味の話題で溢れ、友人とのコミュニケーションツールとして使われているに過ぎない。政治について触れることはまるでタブーのように、彼らはSNS上に自分の意見を出すことはない。

 

本サイトやツイッターなど、ネット上で政治的な意見を恥ずかし気もなく主張している私は周囲からみて異端児だ。しかし、左であれ右であれ、自分の意見を持つことは主権在民である民主主義国家のなかでは大事なことである。若者の政治離れと言われて久しいが、何が彼らから政治的意見を取り上げているのだろうか。

 

私自身は幼い頃から政治に関心があった。両親がテレビで政治番組や報道番組をよく見ていたため一緒になって見たり、家庭内でちょっとした政治議論をしていたため、政治を身近に感じていたことが大きい。政治的な意見を持つことも当たり前だと思っているし、それを主張することも当然だと思っている。しかし、誰もが自分の意見を発信できる世の中になり、改めてほかの大人たちの政治的な意見を見ていると、右でも左でもどちらとも「レッテル貼り」や「過度な攻撃性」を含んだ主張ばかりが目立つ。

 

政治は自分自身や家族の生活に直結するものであるから、そうなるのも仕方ない。歴史をみれば、昔の政治活動家は命を狙われることも多く、政治運動が命懸けで行われていたことは誰もが知るところだ。政治の元の形が「命の奪い合い」だとすれば、それに比べたら言葉でお互いに傷つけ合っているのは「まだマシ」かもしれない。ただ、平和な日本の若者や子どもたちはそんな大人たちの姿を見ると、「政治は近づきにくいもの」と認識してしまう。

 

ただ単に政治が難しいからだけではない。政治的主張をすれば必ず反対派の反感を買う。特にSNSが流行している現代は個人攻撃の対象とされ、これまで優しく見守ってくれる存在であるはずの大人たちが、まるで人格が変わったかのようにお互いを罵り合っている。政治に触れれば「自分や友人が傷つき、お互いが傷つけ合うもの」だと大人たちの姿を見て学び取る。友人との繋がりに最も価値を置いている若い世代にとって、政治に触れることはなんのメリットもないのだ。それよりはゲームやアニメなど誰も傷つかない話題を投稿しているほうが「めんどくさい人」「近寄りがたい」と思われずに済むのである。ある意味、自身のイメージ戦略として政治に触れたくないという若者が多いのではないだろうか。

 

今や政治家や支援者だけでなく、ジャーナリストも一般人でさえも、大人たちの多くが政治になると攻撃的で、差別的な主張を繰り返している。改めて「政治は戦争だ」と実感する。それでも命の奪い合いから、選挙という形になり変わった政治の在り方。今後は若者や子どもたちが自分自身の政治的意見を安心して主張出来る政治的な在り方に変化するだろうか。それとも「政治は戦争だ」と若い世代に免疫をつけさせたほうがいいのだろうか。


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