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2019年01月22日(水)
琉球新報の社説は表現を変えるべきだった 裁判員裁判とマスメディアの在り方

(写真:琉球新報ホームページより)

 

琉球新報が17日付社説で、昨年4月に発生した沖縄うるま市強姦殺人事件の裁判員裁判に触れ「被告の権利とはいえ、黙秘権の行使は許しがたい」「裁判員は被告の殺意の有無を的確に判断してほしい」と論じた問題で、沖縄弁護士会(照屋兼一会長)は「証拠関係に基づかずに、裁判所・裁判員に対して一定の方向性をもった判決を期待する旨表明することは、刑事被告人の黙秘権及び公平な裁判を受ける権利を軽視し、また、これから評議・判決に臨む裁判員に対して影響を及ぼすことも懸念される」との会長談話を発表した。

 

そもそも黙秘権は憲法第38条1項にある自己に不利益な供述を拒否する権利だ。自白に頼った裁判は冤罪を引き起こしやすく、現在の裁判では客観的な証拠に基づくことを原則としている。それに本サイトでは何度も論じてきたが、判決が出ていない段階ではまだ真犯人ではない。推定無罪で疑わしきは罰せずが大原則だ。今回は被告が犯行を認めているものの、遺族ではなく報道機関として「被告は反省していないと断じるしかない」「黙秘権の行使を許さない」とする主張は、近代法の基本原則や現在の憲法の精神を軽視していると非難されても仕方ないものだ。

 

沖縄弁護士会の談話に対し、琉球新報は23日に、「被告の黙秘権を否定はしないが、『将来ある20歳の女性の命が奪われた痛ましい事件』であり、暴行致死と死体遺棄を認めた被告は全てを話すべきだとの主張に問題はない」「遺族は極刑を求めているが、その通りの判決を出すように求めてはないない。あくまで『遺族が納得する判決を期待』したものである」との見解を発表した。

 

この見解について私はよく理解しきれなかった。遺族が納得する判決というのは、遺族が求めている極刑ではないのか。極刑を求めている遺族が、極刑以外の判決に納得するのだろうか。痛ましい事件であることは確かだが、弁護士会の指摘の通り裁判員への影響もある。全てを話すべきだとの主張をしたかったのなら、「黙秘権の行使は許しがたい」という表現は誤解を招くもので、「自分でやったと認めるのなら、すべてを話すことが誠意だ」などという表現に留めておくべきだった。

 

裁判員裁判を行う場合、報道機関は審理に影響がないように努めなければ裁判の公平さが失われかねないという懸念がある。イギリスでは裁判終了まで事件に関する報道は原則禁止する措置を取っているほどだ。一方、日本では表現の自由や報道の自由といった観点から、報道規制はない。ただ、日本新聞協会が「裁判員制度開始にあたっての取材・報道指針」というものを2008年1月に作成している。それを見れば「これまでも我々は、被疑者の権利を不当に侵害しない等の観点から、いわゆる犯人視報道をしないように心掛けてきた」という本当かと首を傾げたくなる一文もあったが、主に3つの事項が記されている。

 

(1)捜査段階の供述の報道にあたっては、供述とは、多くの場合、その一部が捜査当局や弁護士等を通じて間接的に伝えられるものであり、情報提供者の立場によって力点の置き方やニュアンスが異なること、時を追って変遷する例があることなどを念頭に、内容のすべてがそのまま真実であるとの印象を読者・視聴者に与えることのないよう記事の書き方等に十分配慮する。
(2)被疑者の対人関係や成育歴等のプロフィルは、当該事件の本質や背景を理解するうえで必要な範囲内で報じる。前科・前歴については、これまで同様、慎重に取り扱う。
(3)事件に関する識者のコメントや分析は、被疑者が犯人であるとの印象を読者・視聴者に植え付けることのないよう十分留意する。

ー日本新聞協会2008年1月16日「裁判員制度開始にあたっての取材・報道指針」よりー

 

多くの読者は一般的に被疑者=犯罪者と決め付けているのは、マスメディアの報道による影響が大きい。これまでの報道を見ても被疑者が犯人であるとの印象を与えていることは間違いなく、この指針は果たして守られているのか疑問である。そして最後にはこの様な文で終わっている。

 

 また、裁判員法には、裁判員等の個人情報の保護や、裁判員等に対する接触の規制、裁判員等の守秘義務などが定められている。我々は、裁判員等の職務の公正さや職務に対する信頼を確保しようという立法の趣旨を踏まえた対応をとる。
 改めて言うまでもなく、公正な裁判はメディア側の取り組みのみによって保障されるものではない。裁判員等の選任手続き、裁判官による裁判員等への説示、検察官および弁護人の法廷活動、そして評議の場において、それぞれ適切な措置がとられることが何よりも肝要である。
 加盟各社は、本指針を念頭に、それぞれの判断と責任において必要な努力をしていく。

ー日本新聞協会2008年1月16日「裁判員制度開始にあたっての取材・報道指針」よりー

 

日本新聞協会にも加盟している琉球新報の今回の社説は「我々は、裁判員等の職務の公正さや職務に対する信頼を確保しようという立法の趣旨を踏まえた対応をとる」というものから逸脱したものではなかったか。そしてこの指針にある最後の「改めて言うまでもなく、公正な裁判はメディア側の取り組みのみによって保障されるものではない」という一文は、日本新聞協会がマスメディアの影響力の大きさを直視していないように見受けられる。報道の自由が規制される懸念も分かるが、それならばマスメディア自身が自らの影響力を加味し、近代法に則ったもう少し踏み込んだ規定にすべきなのではないか。

 

「自由」には大きな弊害があることは誰もが知っているだろう。時に自由が過ぎて暴走することがあるのが人間であり、社会だからだ。その自由が奪われないためには、自由を享受する者が自主的に規制や倫理規定を設けて適切に運用する必要がある。それが緩すぎて暴走を許したり、適切に運用されなかった場合に「規制をかけなければならない」とされてしまうのだ。座間事件にせよ、日馬富士暴行事件にせよ、マスメディアは改めて自らの報じ方を再考する必要が求められているのではないか。報道の自由を守るためにも。


  

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