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東京新聞は「結論ありきの裁判」をするべきではない

 

本サイトでも東京MXのテレビ番組「ニュース女子」に対する一連の東京新聞の対応について批判してきたが、3月1日付で長谷川幸洋氏が論説副主幹から論説委員に人事異動になった。その長谷川論説委員は連載を持つ講談社のウェブサイト「現代ビジネス」で、新たな記事を掲載。その中で東京新聞を批判したコラムを東京新聞側から掲載拒否されたことを明らかにした。

 

【関連記事】東京新聞長谷川論説委員、コラムで「東京新聞がいよいよおかしくなってきた」(常論新聞)

 

私は新聞記者を志す身として、特定の新聞社を名指しで批判することは避けたいところだ。どう考えても人事担当者から白い目で見られるに違いない。しかし、新聞社は「言論機関」を標榜している以上、この程度の批判は許されてしかるべきだ。その代わり言論で批判するための最低限のマナーとして、なるべく「誹謗・中傷」にはならないよう細心の注意を払って記事を書きたい。

 

長谷川氏はコラムのなかで「主幹は2月2日付で私に対する処分を盛り込んだ反省文を紙面に出す前に、私に出演の経緯や司会者である私の役割、あるいは事実関係について事情を聞いていない。当事者に話も聞かないで、事実上の処分を世間に公表したのである。こんな乱暴な手続きはない」と明かした。

 

長谷川氏の言うことが事実ならば、東京新聞は結論ありきの裁判をしたことになる。今回のケースを裁判に例えるならば、被害を訴えた基地反対派の人間は原告で、長谷川氏が被告だ。事実関係をしっかり確認しようとするならば、裁判のように被告・原告双方から言い分を聞いて裁判官は判断しなければならない。しかし、長谷川氏の説明によれば一方の事情を聞いていないというのだ。最初から結論ありきの判決に納得いくはずもないだろう。東京新聞としては原告側の感情に寄り添った判断だったのかもしれないが、事情を聞かないで措置を講じるなどそれこそ「一方的」と言われても仕方ないのではないか。双方の言い分を聞かずにどのように正確な事実関係を確認するというのか。

 

自社批判のコラムの掲載拒否は朝日新聞の池上彰氏コラム拒否騒動を思い出してしまう。当事者か、第三者かという違いはもちろんあるものの、一方的に反省の記事を掲載したならば長谷川氏の反論記事も同時に掲載しなければ筋が通らないだろう。長谷川氏の反論コラムを掲載すれば、読者から「反省してないじゃないか」と批判されているのは目に見えているが、しっかりと両論併記することは言論機関にとって大事な「バランス感覚」だ。

 

長谷川氏の自社批判コラムに反論したいならば、長谷川氏のコラムの隣に主幹の考えを改めて掲載すればよい。2つの対立する意見を並べて、それを読む読者がそれぞれ最終的に判断すれば良いことなのだ。掲載拒否することは言論の自由を侵害することそのものだろう。また東京新聞の読者もひとつの意見を読む機会を失することになる。

 

東京新聞の立場はどうあれ、言論機関を標榜する新聞社ならば、対立する言い分もしっかり掲載ないし、聞くべきだ。


  

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