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黒髪強要問題、学校だけの問題ではない

大阪府の公立高校に通う女子生徒が地毛が茶髪なのにも関わらず、学校側から黒髪強要されて不登校になったとして、女子生徒が220万円の損害賠償を求める訴えを大阪地方裁判所に起こした。この問題はネットやテレビで大きく取り上げられ、海外のマスメディアまで報じる事態になった。

 

報じられている内容を整理すると、女子生徒はもともと地毛が茶色だったため、母親が事前に学校側へ地毛であることを伝えていた。しかし、学校側は黒染めを求めた。女子生徒は学校側の求めに応じて黒染めをするようになったが、頭皮がかぶれるなど髪がボロボロの状態になった。さらに染め方が足りないと4日に1度の頻度で注意されるようになり、黒染めをしていないことを理由に文化祭や修学旅行の参加も認められなかった。こうした指導に過呼吸になることもあったという。教諭から「黒染めしないなら学校にくる必要はない」と言われ、ついに不登校になった。高校は生徒の名前を名簿から削除し、他の生徒たちに退学したと虚偽の説明をしたという。裁判で高校側は「生来的に金髪の外国人留学生でも、規則では黒染めをさせることになる」と主張した。生徒側は「高校には生徒が健全に発育できる環境を作る必要がある」とした。

 

この報じられている内容が事実であれば、人権侵害そのものだ。国内外で高校側が非難されるのはやむを得ない。人生で二度とない貴重な青春の時間を奪っただけでなく、日本社会では一度レールから外れると元に戻るのは並大抵のことではない。女子生徒の将来にも深刻な悪影響を及ぼした。生まれ持った髪色が茶色だったというだけで、誰が彼女の人生の貴重な時間や、将来を奪う権利があるというのか。理不尽極まりない悪質な指導だ。例えルールだったとしても、過剰で問題のあるルールというほかない。

 

一方で、なぜ学校側がそんな過剰とも言えるルールを作ったのかにも注目しなければならない問題だ。朝日新聞は11月6日付の社説で、次のように指摘している。

 

 髪の色や質は人それぞれだ。改めて言うまでもない。ところが日本の教育現場では「まっすぐな黒髪があるべき姿で、それ以外は認めない」という指導がしばしば見受けられる。
 
 今春の朝日新聞の調べで、東京都立高校の約6割で、髪が茶色がかっていたり縮れていたりする生徒に対し、生まれつきであることを示す「地毛証明書」を、入学時に提出させていることが明らかになった。
 
 髪の毛や服装などに関する指導は厳格であるべきだとする人は「あの学校は乱れているという評判が広まると、生徒募集や就職・進学に影響し、みんなに迷惑がかかる」という。
 
 学校は集団生活の場であり、秩序を保つために一定のルールが必要なのはわかる。それにしても度を越した対応が、各地で繰りひろげられていないか。
 

(11月6日付 朝日新聞 社説「黒髪指導 生徒の尊厳を損なう愚」より)

 

つまり、髪の毛に色がついている生徒がいれば「乱れた学校だ」と世間から見られ、学校の品位やイメージが悪くなる。それを防ぐために過剰なルールを作ったということになる。実際にそういう世間の偏見があることも事実だろう。「見た目で人を判断してはならない」と誰もが口を揃えて言うものの、実際には多くの人々が見た目によって判断しているという社会的な問題が浮き彫りになったといえる。今回の問題は、学校側の対応だけでなく、私たち社会が無意識に行なっている「偏見の目」にも注目しなければならない。

 

学校側を非難する人で溢れているが、「学生が髪の毛を染めているなんて」という固定観念や偏見を持っている一般人も、彼女への間接的な加害者の一人なのではないか。そういう人たちが社会に大勢いれば、地毛が茶髪の女子生徒が外に出れば世間から「高校生なのに髪の毛染めている」と誤解され、学校の評判にも影響がでる。学校側は髪が地毛であることを保護者から説明されれば、本来は理解することができるはずだ(今回は何故か理解されていないのだが)が、「髪の毛は地毛です」と証明書をつけて外を歩くわけにもいかない。すると世間は生まれつきとなどとは深く考えず、単に髪の毛を染めている生徒として見る。そんな世間の偏見が結果的に彼女の立場を苦しめた。その偏見がなければ、学校側もここまで過剰なルールを作る必要もなかっただろう。

 

そもそも「髪の毛を染めていると、品がない人」、「学生は髪の毛を染めるべきではない」という勝手な偏見をなくさなければならない。「髪の毛に色がついているから」「奇抜だから」と言って本人と関わらずに、勝手に決めつけて人物評価を行うことが良いか、悪いかなど、改めて問う必要もないだろう。服装などが自由な学校も増えてきた中で、髪の毛を染めれば風紀が乱れるという発想も時代錯誤だ。

 

「多様な価値観を認める」という社会は一体どこにいってしまったのだろうか。改めて「見た目で人を判断してはいけない」という基本的な部分を、私たちひとりひとりが意識して実践しなければならない。


  

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