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「笑顔」の合格発表ニュースの裏で「泣く子」たち

(写真:フリー素材「ぱくたそ」より)

 
受験シーズン本番を迎え、公立高校入試の合格発表がニュースになっている。私もちょうど1年前、公立高校の合格発表が張り出される掲示板の前で、カメラと脚立とメモ帳を手に合格発表の生徒たちを取材していた。笑顔で喜ぶ生徒を見つけては、感想や高校での目標などを聞いてはメモを取る。合格した友達を連れてきてもらって、みんなでピースサインをしながら満開の笑顔で写る写真は紙面を彩った。

 

しかし、その一方で残念ながら不合格になった子も存在する。取材中、脚立に立って合格した生徒の写真を撮影しながら、不合格になってしまった生徒はこの光景を見て何を思うのだろうと気になって仕方がなかった。私自身も小学校と中学校の国立の受験に失敗した経験がある。そんな挫折した経験があったために、合格した生徒よりも不合格になった生徒のほうが気になってしまったのである。

 

周りが歓喜の声をあげて抱き合う中、失意のなかでそそくさとその場を後にしなければならないあの辛さ。笑顔で喜ぶ同世代の人間を前に、自分は落ちこぼれという現実をもろに突きつけられる瞬間だ。仕事とはいえ、傷だらけの心に刃を突き刺してしまう行為を自分はしてしまっているのではないかと思ってしまった。もちろん合格した者たちは努力した結果、合格したのだから喜びを爆発させるのは当然なのだが。

 

教育無償化の話になると大人たちはみんな揃って「無償化は上位数パーセントの優秀な学生だけでいい」とか「遊んでるやつらをなんで税金で助けてやらなきゃいけないんだ」「頭悪いやつは高卒でいいだろ」という無責任な声が決まってあがる。しかし、行政が手を差し伸べなければならないのは本当は落ちこぼれた子供たちなのではないか。優秀な生徒たちは自然とそれなりの場所へ落ち着くだろうが、一度落ちこぼれるととことん落ちこぼれになってしまう社会では、反対に生活保護受給者が増加したり、自殺の増加、犯罪化につながる恐れがある。

 

もちろんそのためには本人のたゆまぬ努力は絶対必要なわけだが、経済面で復活するチャンスに格差があることだけは社会として不平等過ぎやしないか。「誰もが努力次第で大卒の資格を手に入れられる」「いつでも努力次第で人生がやり直せる」方向にどうにか進んでもらいたい。お金があれば大卒資格が得られる、お金があれば私立に入れる、お金があれば大卒後ローンの返済をしないで済む、お金があればいい教育を受けられる。こういう時に「努力」によってなんでも解決できるという、努力論を出してくる大人たちが子供を苦しめている。機会というものが平等に与えられたあとに努力論を出すべきだ。

 

笑顔の裏で泣く子たちが私のようにズルズルと落ちこぼれ街道を突っ走らないことを祈るしかない。そして、笑顔で入学した子供たちの中にも学校生活のなかで、学業や人間関係のなかで落ちこぼれてしまう子も出てくるだろう。その子たちが復活するためのレールを政府は早急に敷設してもらいたい。無論、そのレールを進めるかは本人の努力次第だが、まずはレールを敷かなければ列車は前に進めない。


  

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