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日本型コミュニティ・カレッジ構想 きっと日本にはこういう学校が必要になる
米国最古のコミュニティ・カレッジ「Fullerton College」(写真=Robert J. Boser)

 

先日、大学無償化のニュースを記事にした際にご紹介したコミュニティ・カレッジ(https://shigefika.com/social/education/1078/)について改めてお話したい。コミュニティ・カレッジはその地方の「教育の受け皿」となっている。その活用方法は様々で「高等教育」として学びたい者、「生涯学習」として学びたい者、「職業教育」や「継続教育」として学びたい者など、あらゆる「学びたい者」が集まってくる。そんな海外のコミュニティ・カレッジを参考に、日本型コミュニティ・カレッジを開設するのはどうか。

 

コミュニティ・カレッジの利点は、日本でよくある「レッテル貼り」があまり効きにくい教育機関である。学歴やら偏差値やらと何かしらつついて、そのコミュニティに属しているだけで後ろめたさを感じさせることがない。「ニートが社会復帰するための学校」なんて作ったら、途端に日本では「落ちこぼれの学校」「ニート学校」などと揶揄される。しかし、いろんな人が教育を受けたいと集まってくる学校ならば、その心配もない。あらゆる世代が集まっていれば「いじめ」も起きにくく、仮に同世代でいじめられ不登校になった人間もこういう学校のほうがのびのびと勉強できるかもしれない。違う世代が勉学に励んでいることで、いろいろ刺激を受けることもあるだろう。

 

引きこもりなどに対しては、「gacco」のようなオンライン授業を行うことで知識を身につける機会を失わせない。さらに精神科医や心理カウンセラーなどを常駐させ、引きこもりやニートだけではなく、労働している人にとっても「社会復帰の場」として大きな役割を担ってもらう。将来、仕事に困らないように「スキル」をつけさせる機会は常に社会として与えれば、将来的に生活保護などを受ける人間を放置するよりもずっと公益にかなっている。日本では教育に公的なお金があまりかけられていない国だが、教育が人生を作るのだ。なんでも厳しく接してとりあえず「社会」に無理矢理出させればいいなんて大間違いで、最終的に貧困になって自殺したり、厳しくすればするほど誰かに助けを求める羽目になる。

 

その時に社会が手を差し伸べて「教育」としてスキルを身につけさせる場を提供する。今までは自分の実力がなければスキルが身につかなかった人間でも、誰もがそのスキルに触れられる場だ。こういうものにお金をもっと投資すべきなのだ。これから先、人間が仕事ができなくなる可能性が高まり、今仕事している人間も転職しなければならない時期がくるかもしれない。その時に失業保険をもらいながら、新たなスキルを得られる場としても重宝する。国としても、日本人の教育に力を入れることが欠かせない。「Fラン大学」などと他者からは馬鹿にされ、自分も自信を持てぬまま社会にでてしまう大学を作るよりも、その土地を利用してこういう学校を作った方が社会貢献度は高い。

 

最初は「コミュニティ・カレッジ」の学校ってそんなに必要なんだろうかと正直不思議に思ったが、「人間として生涯をかけて学ぶ場」が担保されるなんて素晴らしいではないか。もっともこういう学校に税金を使えば、多くの人間の人生の選択肢が増える。この記事の論調的には「人生をリセットする」という意味合いが強くなっているが、実際は「生涯学習」や「高等教育」の満足度を高めることで学校の価値を高め、その上で受け皿の部分を作ることが望ましいと思っている。そして近代的・古典的などいろんな授業形態を持つことで、それぞれの年齢や自分にあった学習方法を取ることができる。とても大きな教育組織・教育機関になるかもしれないが、税金を増やしてでも作る価値は必ずある。

 

もちろん地域ごとにいろんな特色のあるコミュニティ・カレッジがあって良いだろう。同じ教育に力を入れるなら、全国民・住民にとって有益な場とするべきだ。それだけ「教育」への投資は、国にとっても、人間にとっても大きな財産なのであり、無限の可能性を秘めている。「教育大国・日本」の実現に向けて、ぜひ日本型コミュニティ・カレッジを提案したい。自身のレベルアップの場にもなれば、救いの場にもなるこの教育機関を是非実現したい。


  

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