配信:衣田 史景 2015年9月4日 16時52分配信 | カテゴリ:社会問題, 自説
ここ数年”いじめ問題”が大きくメディアで取り上げられている。いじめというのは、戦争や殺人事件と同様に誰しもがなくなってほしいと思うが一向に無くならない「人類のテーマ」の1つである。どこにでも存在するし、誰もが悪いと思いながらも、罪悪感もなく加害者になる。この世からいじめをなくすことは容易なことではない。
私の母は昭和31年生まれだが、母の幼い時代もいじめはあったという。最近よくニュースになっているいじめ問題も、昔から存在していて、一向に無くなっていないのだ。私は幸いにも友人に恵まれ、いじめを受けたことはない。だが、いつどこでいじめられるかは分からない。ずっといじめられてこなかった人間でも、別の場所で生活すれば十分いじめの対象になることがある。いじめられた経験のない私も、違う場所で生活していたら、いつどこでいじめられたか分からない。
不運にもいじめを受け、自殺をしてしまう若者たち。果たして彼らを救うことは出来なかったのだろうか。前置きした通り、残念ながらいじめをなくすことは容易ではない。ならば、安心して逃げることができる施設が必要だ。
先日、鎌倉市図書館がTwitterでいじめられている子に、”いじめが辛いなら図書館においで”などとツイートし、10万リツイート以上されるなど、大きな反響をよんだ。
もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。
— 鎌倉市図書館 (@kamakura_tosyok) 2015, 8月 26
そう、いじめ対策の効果的な方策として、「安心出来る逃げ場」が大事なのだ。一度いじめられると他の世界が見えなくなる。他の世界にいっても、きっといじめられるなどと、自信喪失してしまう。その思い詰めた先が”自殺”という最悪の選択をしてしまうのだ。どんな人間でも場所が変わればいじめられたり、いじめられなかったりするのだから、いじめられた場合は逃げれば良い。その逃げ場が今は少ない。自発的に逃げることが出来る施設を作ることが、いじめを苦に自殺してしまう若者を助ける手段の1つだろう。
例えば、その場にいけば出席扱いと同等なフリースクールをたくさん増設するとか、不登校の受け皿=フリースクールというイメージを失くし、フリースクールに行くメリットもあわせて作りたい。そうすれば建前上、「いじめられたからフリースクールに通ってるのでなく、メリットがあるからフリースクールに行っているんだ」という意義が生まれる。この”意義”というのが小中高時代には意外と大切で、自分を守る為の手段の1つとなる。
学校に行かない学生が増えるとの批判も出るだろうが、学校に行かずに居場所をなくし、自殺する生徒がいるよりも、遥かに前向きで、将来に繋がることだ。
いじめから逃げることは決して悪いことじゃない。その方が自分の将来、未来に一歩踏み出すことになるからだ。ずっと同じ場所に居続け、苦しんで未来までを潰されそうになるなら、逃げた方がはるかに賢明だと言える。だが、現状”逃げる”という賢明な選択をした者への受け皿があまりにも少ない。
逃げるにしても、周囲からの目、学校を休むことによる将来への絶望、またいじめられるかもしれないという不安、逃げることにも、とても勇気がいるのだ。そんな勇気のいる行動を、誰もが取りやすくするために、それを受け入れる受け皿となる施設の設置、これを行政や地域一体となって行われるべきなのだ。
いじめだけに関わらず、もっと世の中逃げられる場所を増やした方が良い。毎年2万人以上の自殺者を出している日本という国は、はっきり言って異常な国だ。逃げることを推奨し、またそこから立ち直ることがいかに重要なことか、国民単位でもう一度考え直すべきなのではないだろうか。

