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自説|中日新聞想像記事 捏造は許されない

読者から新聞社への信頼を揺るがす暴挙だ。

 

中日新聞社(名古屋市)は12日付の朝刊で、子どもの貧困を扱った連載記事の一部に事実と異なる記事や写真があったとして、関連記事全文と別の記事の写真を取り消し、おわびを掲載した。

 

社内調査では担当記者が「原稿を良くするために想像で書いてしまった」と話しているという。新聞記者は記事を作る際、事実を掴んでようやく筆を持つことができる。信じがたい理由だ。

 

臼田信行名古屋本社編集局長は「新聞は事実の報道が使命であり、記者が事実と異なることを自ら知りながら書いたことは到底許されません」と紙面で謝罪した。人がやることには必ずミスは存在する。誤報はあってはいけないが、やむを得ない場合もある。しかし、今回のケースは「捏造」といえよう。

 

事実を伝えるというジャーナリストとしての使命は、報道機関への信頼の基礎となる。過去にも新聞社による誤報や捏造事件が相次ぎ、新聞記事の信頼性を大きく揺るがしてきた。この問題は中日新聞に限ったことではない。新聞業界全体として憂慮しなければならない問題だ。

 

新聞社は国民から信頼されるメディアのひとつとして、古くから報道の中核を担ってきた。しかし、ウェブメディアなどの新興メディアの台頭により、多くの新聞社が発行部数を減らすなど厳しい時代が到来している。そんな中、捏造事件が発覚すれば読者の「新聞離れ」はますます加速する。

 

各新聞社は言論の自由を脅かされないためにも、記事のチェック体制を強化するなどの対策は必須だ。自由を謳うならば、責任もまたつきまとう。こうした基礎・基本に立ち返り、真摯に向き合う必要がある。

 

しかし、今回の件で厳しい声が殺到するのは至極当然だが、各新聞記者たちの筆が止まることがあってはならない。筆がとまれば「国民の知る権利」を代行することが出来ず、民主主義そのものが揺らぎかねない。反省を深め、国民から信頼される報道姿勢を見直し、前進しなければならない。

 

我々国民も「報道とは何か」、「報道がなければどうなるか」を想像し、今後のマスメディアの在り方を考える必要がある。国民とマスメディアとの間に深い議論が交わされれば、民主主義が大きく前進するに違いない。捏造報道はあってはならないが、前向きに「報道」を考える契機につなげたい。


  

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