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自説|長谷川豊氏が番組降板 なぜ人格攻撃になるのか

長谷川氏の番組降板はとても残念な気持ちだ。私は先日、本サイトで長谷川氏の意見に疑問を呈した人間の1人だ。その記事でも述べているが「殺せ」と言うタイトルそのものよりも、「どうやって自堕落かどうかを見分けるのか」、「自業自得の病気や事故を許さない世の中にしていいのか」という点について疑問視した。

 

「殺せ」というタイトルは確かに不適切だ。私はちっぽけなサイトを運営する人間のため、私の言葉は多くの人々の元に届くことはない。より多くの人々に読んでもらうために、センセーショナルなタイトルにしなければならないとなる気持ちは、サイト運営者として非常に理解できる。しかし、言葉の使い方さえ間違っていなければ人の心にすんなりと入って「邪推」なく考えてくれる方も、もっと多かったのではないか。

 

ただ、私は長谷川氏のブログタイトルでもある「本音論」という主旨は賛同できる。自分が考えていることを素直に発表し、問題提起することは価値のあることだと考えている。全員が全員同じ考えを持つべきではないし、違う考えを勇気を持って主張することは「表現の自由を持つ国」、もっと言えば「民主主義国家」として重要だ。

 

今回の記事で「炎上」してしまったが、長谷川氏の人格そのものを否定することは間違いだ。批判をすべきなのはお互いに「考え方」であり、「人間そのもの」であってはならない。考え方だけを切り取り、考え、批判し合うのが本当の意味で健全な民主的な議論なのである。

 

だが往々にしてこの国の「炎上」というのは、考え方から人格攻撃にまで結びつくものばかりだ。炎上した者も、炎上させる者もそうである。私は長谷川氏の意見には大反対だが、長谷川氏を最低な人間とは微塵も思わない。「最低な人間だ」、「頭悪い」、「人間として失格」などという人格攻撃を使った批判は議論の根本から外れてしまうので、避けるべきである。

 

その上で番組降板という結果は残念だ。「殺せ」というセンセーショナルなタイトルから、「ふざけた患者」という決めつけ、長谷川氏を「人間として失格」と誰もが批判し、そして番組降板。この一連の流れすべてが残念だ。何もかもが人格攻撃で埋め尽くされる「議論」と「結果」に辟易する。

 

自分が間違いではないと信念を持っているならば、建設的に発信を続けてもらいたい。番組降板という結果になったが「ペンの力を弱める」のではなく、「違うペンの使い方」をして問題提起をし続けてもらいたい。私たちはその意見に対し、賛成と反対を表明し続ける。その積み重ねが建設的な議論になるに違いない。

 

ナゼ、問題提起が、議論が、「人格攻撃」になってしまうのか。我々は議論の在り方について、よく考えなければならない。


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