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自説|なぜ人間の評価基準は「良い人か」「悪い人か」の二通りしかないのか

「あの人すごく良い人だよね」、「あいつ超性格悪いらしいよ」という言葉を、これまで何度聞いてきただろうか。よく聞く対人物評価である。しかし、やはりこの総合評価は間違いや先入観をうえつけてしまう。

 

「実況パワフルプロ野球」や「プロ野球スピリッツ」、「ウイニングイレブン」などのゲームをご存知だろうか。やったことがある人間ならば分かるが、スポーツ選手は項目ごとに能力査定されている。「今年は年間40本塁打放ち、長打力があるからパワーはA」、「年々盗塁数も、1塁までの到達スピードも遅くなっているので走力はD」、「相変わらず守備がひどいからF」と言った具合だ。

 

このように人間も項目ごとに評価していったほうが、その人間の「良いところ」、「悪いところ」を把握しやすい。良い人というが、全ての項目が良い訳がない。悪い人というが、全ての項目が悪い訳がない。それなのに何故私たちは「良い人」と決めたら善良で、「悪い」と決めたら極悪人のようになってしまうのだろうか。

 

実は「あの人良い人だよね」、「あの人悪い人だよね」という言葉には、「自分にとって都合の」という言葉が省略されている。言葉は悪いが、人間にとって良い人というのは、付き合っていて自分に利益がある人であり、悪い人は付き合っていて不利益を被る人のことだ。

 

「一緒にいて楽しい(話相手になってくれる)」、「面白い(笑わせてくれる)」、「優しい(真摯に相談に乗ってくれる)」、「ノリがいい(遊びに付き合ってくれる)」、「かっこいい&かわいい(目の保養ができる)」、「頭が良い(面白い考えを聞かせてくれる)」、「自分を必要としてくれている」、「自分のことを分かってくれる」、「見ていると刺激を受ける」等、これらは自分に利益がある。

 

一方、「一緒にいて楽しくない(話相手になってくれない)」、「おもしろくない(笑わせてくれない)」、「優しくない(自分をないがしろにする)」、「ノリが悪い(遊びに付き合ってくれない)」、「かっこ良くない&かわいくない(目の保養ができない&生理的に受け付けない)」、「自分を必要としてくれない」、「すぐに裏切る」、「騙す」、「ケンカばかりする」、「自分と合わない」、「自分を受け入れてくれない」、「ネガティブ」、「一緒にいると自分も他人から変な人と見られる」等、これらは付き合っていても不利益しかない。

 

不利益の部分が大きくても、自分に利益がある場合はその人間と付き合い続けたり好きでいることもできるが、途端に大きな不利益を相手が持っていたり、不利益しかなくなるとその人間を一気に嫌いになる。そんな自己都合の評価を「良い人(好き)」と「悪い人(嫌い)」という目の前の人間にはめこんで評価をしているに過ぎないのだ。

 

他人にとって「(都合の)良い人」、「(都合の)悪い人」の評価を真に受けていると本来の正当な評価を見失ってしまう。人間を嫌いになって悪口を言いまくっているのは「自分にとっての都合のよさ」しか見えていないからである。

 

しかし、実際の人間には「良い人」も「悪い人」も存在しない。極悪非道な人間ですらそうである。「良い部分」もあれば「悪い部分」もあるという評価がすべてであり、多くの人間が「自分の都合の良い部分」だけしか見ていないだけなのだ。

 

嫌いという感情は人間である以上しかたないが、せめて第三者としては相手の話半分、「良いところもあれば悪いところもある」と冷静に判断したいものである。


  

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