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自説|批判を恐れる表向きのインタビューに価値があるのか

ごく短い記者生活で、講演後の映画監督や登壇者、演奏を終えたばかりの演者、イベントを企画した立案者、イベントに参加した観客の感想など様々な人々のコメントを取りに行った。コメントは記事全体の流れや出来事の信憑性、読者のニュースに対する捉え方を左右する重要な部分だ。コメントの有無が記事の出来映えを大きく変える。

 

テレビのニュースなどを見ていても、同じようにコメントは必ず放送される。講演してみてどうだったか。イベントに参加してよかったか。話題の映画を見た感想等。しかし、どのニュースを見てもだいたい「予想」した通りのコメントばかりであり、加えて差し障りのない「ポジティブ」な発言ばかりになっている。

 

無論、コメントした人のなかには涙を流したり、興奮した状態のまま、心の底から発言されている方もいる。従って、ポジティブな発言が悪いというわけではない。しかしながら、実名で時には顔を晒している状態では、批判したり、ネガティブな発言をするのは相当の勇気が必要だ。心の中ではネガティブな感想を持っていても、それを押し殺してポジティブなことを言わざるをえない環境になってしまう。

 

そして、報じる側にも疑問がある。もしも奏者が涙を流すなど、感動的なオーケストラ演奏が行われた場面に遭遇したとする。あとの取材で、別の奏者が「私は今日の演奏には不満です。感動的な場面に気を取られてしまい、演奏の出来自体はよくなかった」と批判的なコメントをした際に、それを記事に組み込むことは出来るだろうか。

 

そのコメントをカットすることも報じる側には可能であり、カットさえすれば感動的な記事の流れが完成する。読者や報じる側に「都合が良い」ならば、勇気あるコメントでさえも闇に葬る判断も当然考えられる。必要性や、批判した人間を守るためなどいろんな理由を作れば良い。しかし、そんな「ニュースの流れ」を形作る二重構造のなかで報じられる表向きのインタビューやニュースそのものに、どれほどの「価値」があるのか私は疑問だ。

 

このサイトを運営して良かったと思っている点は、友人知人を含めた第三者からの視線に臆することなく、批判を覚悟で自分の意見を掲載できていることだ。ポジティブな意見だろうが、ネガティブな意見だろうが心の底から思っている気持ちや考えを、批判覚悟で表明することこそ価値がある。

 

「ペンの力」というのは、自らの信念そのものだ。ペンに力が宿るのは、自分の信念や意見を堂々と発表するからであり、空気にただ沿った意見や批判を恐れた意見にペンの力が宿ることはない。正しいか、間違っているかは二の次で、本気で考えて、本気で心から思っていることを読者に伝える。それが「本当の価値ある意見」なのである。

 

僭越ながら「自説は読み応えがありますね」と読者の方に言って頂けるのは、「自らの信念」を貫いた執筆が出来ているからだと自負している。その集積が当サイトの寡少な存在価値になっていくだろう。

 

今後、個人のメディアが増えるならば、既存マスメディアが出来ない「信念の意見」を数多く発信していってもらいたい。


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