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自説|ニートは社会にとって不必要なのか

引きこもりや自殺未遂の経験をした人間の実態調査が行われてニュースになった。50万人以上の人間が引きこもり、同じく50万人以上の人間が1年以内に自殺未遂をした経験があるという。引きこもりに関しては15歳から39歳までと年齢制限が掛けられていたので、実際はもっと多くの人間が引きこもりになっている。

 

私はよく同じニートの人間から相談されることがある。どうやら彼らには私が悠々自適にニート生活を送っていると思われているようだ。そんな彼らの話を聞くと、「私って人間のクズですよね」とか「死んだ方が良いんですかね」と言ったネガティブな発言になる。

 

綺麗ごとを抜きにして話せば、私たちニートが死んだとしても何の影響もない。生きていくことに困難を感じるのであれば、死ぬほかない。最低限度の営みを有する権利があるとは言うが、その最低限度は衣食住に加え、社会からの冷たい視線に耐えることも付与されるものだ。それがいやなら死ぬ選択を取ってしまうのも無理はない。

 

いざ目の前にして言うと人間はみな「死ぬことはいけない」と言うが、実際には死ななければいけない人間もいる。死刑囚なんてその最たる例であるし、私のような社会不適合者ももしかしたらそのなかに入るかもしれない。死ぬことはいけないと言うのは、「まともな人間」か「まともそうな人間」だけなのである。それならば「自分はまともに生きて行けない」と実感している人間に対しては、安楽死を認めてあげるほうがよっぽど人道的であるように思える。結局その人間を社会は認めないか、認めようとしないのだから。

 

私はそのニートに対してだいたい同じ答えを言う。「クズでいいんじゃないの」と。クズの気持ちはクズにしか分からないのである。まともな人間がすぐに答えを出そうとしても、クズの気持ちなんか分からないだろう。むしろ分かろうともしない、あるいは分かってても分からないふりをするかもしれない。

 

そんな時にクズを本当に分かってあげられるのは誰なのかと言えば、やはりクズしかいないのだ。現代社会では“必ず”クズや落ちこぼれと言った人間が出てくるのである。同じ気持ちを持った人間がいなければ、彼らは死ぬしかない。気持ちが分からない人間に、ただ一方的に責め続けられる人生を歩むしか無い。更生の示しすらないのである。

 

ニートという経験は、そう言った彼らの気持ちに立てる唯一の人間であることは間違いない。将来もしニートを脱出した時、ニートにとって勇気となる存在になるかもしれない。ひとつの参考になるかもしれない。その経験は誰かを救うことになるかもしれないのだ。

 

上から目線でアドバイスをしてくる者、バカにしてくる人間は彼らのことを本気で考えようとしていない。それは質問やアドバイスの仕方を注意深く観察すればすぐ気付く。ただ単に「私はまともなんだぞ」とアピールしたいだけなのであり、ニート問題を解決する根本的な問題まで考えが及ばないから、はっきりいってアドバイスなど聞いても時間の無駄である。

 

様々な人間がいて、様々な容姿で、様々な考えを持ち、様々な環境で、様々な性格を持った人達がひとつの人生を生きている。私たち人間は同じ人生を歩んでいるように見えても、はっきり言って大きく違うのだ。それにも関わらず「アドバイス」と言うものは、大体お決まりのパターンしか存在しない。それで解決しているならば、こんなに大量のクズを産み出さないだろう。一人一人の状況をきちんと把握しない限り、適切な答えに導く事は出来ない。

 

だが、この社会というのは「まとも人間」だけしか生きられない社会なのだ。少しでも「まとも人間」という枠からはみ出した人間は生きていけない。だから皆「まともなふり」をしなければならず、一人一人の状況を正確に把握することを困難にしてしまう。「いろんな人間がいるのが当たり前」と考えなければ、またその受け皿をもっと作らなければ、この問題を解決することは永遠に無理ではないかと憂慮してしまうのである。

 

そう考えた時、彼らの気持ちを少しでも分かってあげられる存在であるニート経験者は社会にとってもまた必要なのである。


  

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