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自説|事象はすべて「つな引き」によって引き起こされる

賛否両論ーー意見が二分してしまう議題はよく起こる。最近では大阪都構想における住民投票、安保関連法などが記憶に新しい。社会に「明確な答え」が存在しないなか、私たちは議論を交えながら1つの答えを導きださなければならない。

 

「正義の反対は悪ではなく、また別の正義」とよく言うが、真っ向から対立する意見どちらとも理にかなったものであり、専門家や有識者も対立するのであるから、我々一般人は更に困惑してしまう。正しい判断をするポイントとは一体なんだろうか。

 

そもそも理にかなっていそうな意見が間違うのは何故か。それはまさに「タイミング」の問題だろう。現在の情勢を正確に把握出来なければ、時として「正しい」こともあれば「間違う」こともあるのである。

 

分かり易い例えを出そう。平和に暮らしていたA村に突然不穏な一方が入ってきた。食糧難に困っていたB村がA村を襲撃する計画を立てていると言うのである。A村の住人の間では意見分かれた。ひとつは「武器や兵士を増強して徹底的に戦うべきだ」という意見、もうひとつは「相手を刺激するので、武器や兵力は増強すべきでなく、対話するべきだ」と言う意見だ。

 

最終的にA村村長の一存で決めることになり、熟慮した結果「兵力を増強する」という決断をした。結果的に襲撃してきた敵を兵力を増強してきたことによって、追い返すことに成功したのである。結果を見ると「兵力の増強は正しかった」と言える。

 

ところがである。この事態を経験したことで、もっと兵力を増強しようとする流れになり、過度の徴兵制や税収が増加する事態となった。すると今度は「武器や兵力だけでなく、対話も重視するべきだ」と言う意見が村人のなかで台頭してきたのである。

 

こうした流れは歴史のなかでもよく起こることではないだろうか。明治〜昭和〜現代の日本にも通ずるところがある。「現在正しいこと」と「将来正しいこと」は両雄並び立たずなのだ。あるいはこれらの意見が綱引きして、偏りをなくし、歴史を作り、現在のバランスを取っているのだ。

 

信念を一貫した「両者の意見」というのは、社会としてはバランスを取る為に必要不可欠である。右派や左派に代表される長年同じ意見を持ち続ける者同士が、議論しなければバランスが取りにくい。しかし、正しい選択をする場合は、現在の情勢を正確に把握し、柔軟に対応しなければならないのである。

 

両者とも自分の意見が間違ってる可能性があり、また正しい可能性があると自認しなければならない。「カンペキ」はこの世に存在しないのである。


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