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自説|ベッキーの謝罪は必要だったのか

昨日、“2つの謝罪”が茶の間を賑わせた。政治資金の私的流用を指摘された舛添要一東京都知事とミュージシャンとの不倫を報じられたタレントのベッキーの2人だ。同じ謝罪でも受けた印象はまるで違うものだった。
 
舛添都知事の場合は、都民の税金を私的に利用した疑惑が挙がっているので記者会見を開き、真相を説明し、事実なら謝罪する。それが有権者への責任の取り方のひとつだ。しかし、ベッキーは不倫。謝罪相手は不倫相手の奥さんや出演していたCMのスポンサー、事務所関係者、ファンだ。わざわざ番組で涙を浮かべて謝罪する必要はあったのだろうか。今時自ら発信する媒体が多くあるのだから、公共の電波を使って謝罪することもあるまい。
 
不倫行為自体は断罪すべきことだが、飽く迄も家庭内で解決する問題だ。影響力のあるタレントという職業とは言え、これでもかと叩くことが“国民的イベント”のようになっていることに違和感を覚える。擁護するわけではないが、家庭内で解決すべき問題がここまで大きく報道され、1人の人間が外に3ヶ月間も出られない程に叩かれる光景は「異様」としか言いようが無い。
 
番組の視聴率、雑誌の売上げ、ネットメディアの閲覧数。ベッキーも国民もどうもマスメディアの商法にうまく利用されているように思える。マスメディアと国民が一体となった茶番劇が今後も続くのかと思うと辟易する。こういう問題は国民が無関心を装うことが1番の特効薬なのだが、どうやら多くの人々はこの問題を無視するわけにはいかないようだ。


  

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