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自説|高学歴な旧友から学ぶ、負け組論
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ふとリア充専用ソーシャルネットワーキングサービス・Facebookを見た。私は非リア充の塊と言える存在であるため、普段はTwitterが主な活動場所だ。Facebookは以前の仕事で少しだけ利用する機会があったので、アカウントだけ残していたのである。久しぶりに眺めていると、友人の可能性がある人物を表示してくれる「知りあいかも」という超おせっかい機能があって、懐かしの学生時代の旧友たちがリスト形式で並んでいた。

 

気分は憂鬱になった。旧友たちの多くは学歴を載せているのだが、慶○義○大学、早○田大学、立○大学、T北大学、青○学院大学、国立大学医学部、その他国立大学など高学歴がずらりと並ぶ。同じ学び舎で一緒に学び、遊び、ケンカし、笑い合った学友たちは私のはるか雲の上で、それはもう華やかな世界にいるのである。

 

無論、それは彼らの努力の賜物であり、努力をしてこなかった私が今の立場にいるのも当然だ。しかし、彼らはどうして華やかな世界に行くことが出来たのか。学歴が全てではないことは確かだが、それでも学歴が高いに越したことはない。社会に出た時、チャンスの差が圧倒的に変わってくるのである。彼らの行動や姿勢から良い面を学び、今後の教訓にしていきたい。

 

意識高い系と意識低い系

 

教育用語で「ピア効果」と言われるものがある。意識や能力が高い集団にいると、お互いを高め合う効果があり、成長するのに相乗効果をもたらすという意味だ。まさに「水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう)」ということわざそのものである。

 

それは学校生活に置いても感じ取ることが出来た。意識高い系というネットスラングは、本来自己アピールが強いだけで、何も成し遂げていない人を揶揄する言葉なのだが、ここでは本当に意識が高く志を持って行動しているという良い意味で使うことにする。

 

私は私立小学校に通い、その後公立中学校、私立高校へ進んだ。私立小学校は先ほど述べた高学歴の旧友たちがいた学校で、やはり教育への意識は高かった。中学で落ちこぼれた私は、あまり偏差値の高くない高校に進学するのだが、生徒の意識の差というのは大きく感じられた。小学生と高校生を比較するのもおかしな話だが、決定的に違うことがあった。

 

それは「本気でやるか、面倒くさがるか」という些細な違いである。小学校時代も高校時代も、私にとって充実した時間を過ごすことが出来たし、高校時代の友人達を悪くいうつもりは毛頭ない。ただ、意識の差という話をするならば圧倒的な差があると感じたのは事実である。

 

小学校時代の友人たちは何事にも本気で取り組む姿勢があった。イベントを開催するにしても、積極的に会議を開催し、それを実行する力があり、よりよいものにしようという姿勢が強かった。それは卒業しても同窓会の企画・運営でも感じることができた。ところが、高校時代では文化祭も「めんどくさい」、体育祭も「だりー」、部活も「めんどくさい」という「メンドクサイ」・「ダリー」のオンパレードでやる気を出す者はあまり見かけなかった。むしろ本気を出そうとする者を疎む雰囲気すらあったかもしれない。

 

「本気で取り組まずして、楽しくないのは当たり前やろ」と心の中で思いつつ、私は部活動を3つ兼部し、それぞれ本気で取り組んだ。朝から晩まで部活動のことに必死になったからこそ充実した高校生活だったと自信を持っていえる。成果も大事かもしれないが、本気で取り組めるかという基本的な点が欠如していると、ピア効果のような相乗効果は得られない。

 

しかし、高校を卒業すると、仕事にしても、イベントにしても本気で取り組もうとする高校時代の友人がいて、するとやはりその姿は輝いているのである。

 

【次のページ】人生なにが起こるか分からない、基本は本気で取り組むこと

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