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自説|うまく自分の気持ちを表現できない人

中学や高校時代によくあることなのだが、「キモい」、「うぜえ」、「ドン引き」、「ガイジ」など、感情だけで不快感を表す人間が苦手だった。口論をしていた際に、感情ばかり訴えられても「何が不快なのか」、「何を怒っているのか」、「どうしてほしいのか」が具体的に分からず、「なんかこの人怒ってるやん」としか思えないからである。正直いまでも苦手意識は持っている。

 

私はこう見えても口達者なほうで、友人や他人の前では抑えていることが多いが、自分が伝えたいことは伝えられる方である。家族に聞いてみればわかるが、一番弁が立つのは私だと口を揃えていうだろう。あとは相手に気をつかうか、我慢できず言ってしまうかの問題だ。ツイッターやブログでは言いたいことを好きなだけ表現させてもらっているし、うまく表現出来ずに悩んだ記憶は一切なかった。

 

だが、なかには言いたいことをうまく表現できず、相手に気持ちを伝えられないという人もいる。その辛さは私にはわからないが、その立場になって考えてみると恐ろしさすら感じる。自分の気持ちを誰も分かってくれない状況ほど、辛いものはない。伝えられなければ、伝えることを諦めるか、過激な口調や手段を使って伝えるしかないのだろう。前述の感情ばかりを表現してしまう人は、うまく気持ちを説明できないからではないかと思っている。そうだとすれば、彼らの攻撃的な表現も理解できる。

 

近年は凶悪な少年犯罪のニュースをよく耳にするようになった。世間や社会はみな口を揃えて「社会から抹殺しろ」と言う。だが、本当にそれでいいのだろうか。もちろん誰かを悲しませる犯罪は絶対にしてはならないが、悪いことをした人間の発言を誰もが一切聞こうとしないと、予防などの対策を立てることも難しい。彼らは何か伝えたいことや訴えたいことがうまく伝えられなかった可能性も大いにある。我々大人が一度気持ちを落ち着かせ、話を聞いてやろうとする態度こそいま求められているのではないか。それは過激な行動を取る前からである。

 

おそらく私のように苦手意識を持っていて、何故そこまで攻撃的なのか理解に苦しみ、接触を避けようとする心理が働くからではないか。この理論は自分には表現力があって、表現力がない人は危ないという上から目線で、偏見以外のなにものでもない暴論であるが、いずれにせよ聞こうという姿勢は忘れてはならない。時として自分が殺されかけているときは、相手を抹殺するしかない状況になることもあるだろうが、その時以外は聞こうとする姿勢を貫きたい。

 

そして、弁が立つ人間は「論破した」などと優越感に浸ることもあるかもしれないが、それはただ相手を封じ込めたところで自己満足を得ただけである。さらにいえば相手の言い分を聞こうとせず、理解しようとせず、弱き者を攻撃する非道なナルシストでしかない。うまく相手が伝えられないときに口撃して畳みかけるのではなく、気持ちを汲み取ろうとしながら指摘する「弁達者」でなければならないのだ。

 

もっと人が言おうとしてることに耳を傾ける余裕さを、生きている社会から感じたい。相変わらず余裕さがないこの国なのである。

 


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