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男女を分断するフェミニズムより、性差別を解消するフェミニズムに賛成する
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近年よく聞かれるようになった「フェミニズム」。男女平等を掲げ、女性の権利を拡張を目指す運動であるとは理解していたものの、主張する女性たちの行き過ぎた男性嫌悪や、時には男性蔑視するような発言を見て、それについて言及するどころか、正直フェミニズムには近づかない方が良いなんて思っていた。

 

ずっと遠ざかっていたフェミニズムだが、「#Metoo運動」などが世界的に拡がるなどして日本でも関心が高まってきた。最近でもお笑い芸人の岡村隆史さんが自身のラジオ番組で「コロナが収束したら美人さんがお嬢をやる」などという発言をしたことで、フェミニストと称する人たちが署名運動を起こすなど影響力が強まっている。

 

一度は理解することをやめた「フェミニズム」だったが、改めて勉強したいと思いフェミニズムについて少し調べてみることにした。すると、とある世界的に有名な人物の言葉を聞いて、自分が偏見でフェミニズムを誤解していたことを知る。

 

簡単なフェミニズムの歴史

 

その言葉を紹介する前に、まずフェミニズムの歴史を簡単に振り返ってみると、19世紀・女性に参政権を求める運動が広がったことではじまったとされる。法的に男性にしか認められていなかったものを女性に!こうした参政権や高等教育権の獲得を目指す運動は「第一波フェミニズム」と言われ、20世紀に目的が達成されるとフェミニズムは次第に萎んでいった。

 

しかし、1960年後半に「第二波フェミニズム」が展開される。一部の女性が職に就き、選挙権を獲得したものの女性が社会に出て労働するには制約があった。女性たちを妻や母親、主婦といった型にはめる考え方が一般的だったが、第二次世界大戦後に女性が就業する機会が増えると、ウーマン・リブ運動やフランスの女性解放運動と呼ばれるものが世界的に広まった。この運動によって女性の働く権利、職場における平等、中絶合法化、女性らしさからの解放、レズ・ゲイなどの同性愛の解放など多岐に渡る問題が表面化する。

 

歴史的に女性が政治参加、労働、教育、宗教等、社会の中で多くの女性差別があったことはご存じの通りだ。こうした問題を解消するのにフェミニズムという運動はとても重要な役割を果たした。

 

それでも今でも潜在的に男性に「女性差別」の考えが蔓延っており、男性優位社会だと訴えるフェミニストの人は少なくない。実際に最近でも東京医科大学医学部で女性や浪人生が不利になるような点数操作があったことが判明しており、女性が現代においても差別的に扱われている事例が数多くある。

 

フェミニズムにも3つの潮流

 

フェミニズムと一言で言っても様々な主張があり、一様ではない。その中で主流な3つの潮流をご紹介する。

 

リベラル・フェミニズム

 

リベラル・フェミニズムは「男女平等」は法の下の平等や、性役割、性別ステレオタイプの固定化からの脱却を目指す。法や文化などの公的領域の取り扱いの平等さによって実現できるとし、男性と集団として闘う必要はなく、どちらかというと協力関係を築くとされる。

 

ラディカル・フェミニズム

 

一方で参政権の獲得や、男女共同参画社会基本法などの制度上の平等を得ても「女性が不利な状況が変わっていない」として出てきたもの。男性を抑圧する側、女性を抑圧される側として捉え「男性優位社会の構造」を疑う。女性が男性を立てるという関係性は変わらず、これまで私的領域とされてきた「家族」「愛」「性」を政治問題として取り上げ、男性が女性を支配しているシステムを「家父長制」と非難する。

 

マルクス主義フェミニズム

 

マルクスと言えば資本主義社会の搾取構造に警鐘を鳴らした人物として有名だが、マルクス主義フェミニズムは社会階級だけでなく性階級を分析した。女性差別は資本主義的な「家父長制」にあると主張。育児・家事・介護などを「再生産労働」と呼び、生活をするために必要な労働なのに無償労働であり、女性ばかりが再生産労働につかされた。これは女性差別からくる搾取であり、資本主義では資本家と生産労働者、再生産労働者の3者から成る搾取であると主張する。さらに女性が生産労働に動員されると二重の搾取にあうとする。

 

「男性も女性と同じようにジェンダー・ステレオタイプによって苦しんでいる」

 

フェミニズムと言っても様々な主張があることがわかったが、様々な記事を読んでいて最も私が影響を受けたものがある。それは世界的に大ヒットした「ハリーポッターシリーズ」。映画でヒロインのハーマイオニー・グレンジャー役を演じたエマ・ワトソンの言葉だ。彼女は自らをフェミニストと名乗り活動しているが、国連で行われた彼女のスピーチによってフェミニズムに対する私の考え方が変わった。

 

半年前、私はGoodwill Ambassador for UN Womenとして任命されました。フェミニズムについて話す機会が多くなるにつれ、女性の権利を主張することが男性嫌悪に繋がってしまうことが問題であるとひしひしと感じています。女性の権利主張=男性嫌悪、という世の中の意識を変える必要があります。

 

フェミニズムの定義とは、男性も女性も平等に権利と機会を与えられるべきであるという信念です。つまり、男女は政治的、経済的、そして社会的に平等であるべきであるという考え方です。性の固定観念についてはずいぶん昔から疑問を感じていました。
 

(中略)

 
男性の皆さん。今ここで、この機会をお借りして正式に「フェミニズム」の世界へご招待します。男女平等は男性の皆さん1人1人の問題でもあるのです。今日、子供にとって母親の存在が必要であるのと同じくらいに父親の存在も必要であるにも関わらず、社会は父親の役割を軽視しています。
「弱いと思われるのが嫌だから」と言って、男性は心が弱っているのに助けを求めようとしません。その結果、イギリスの20歳から49歳の男性は、交通事故、ガン、心臓疾患よりも自殺によって命を落とす方が圧倒的に多いのです。

 

「男性とはこうあるべきである」「仕事で成功しなければ男じゃない」という社会の考え方が浸透している為に、自信を無くしている男性がとても多くいるのです。つまり、男性も女性と同じようにジェンダー・ステレオタイプによって苦しんでいるのです。

 

男性がジェンダー・ステレオタイプに囚われていることについては、あまり話されることがありません。しかし、男性は確実に「男性とはこうであるべきだ」というステレオタイプに囚われています。彼らがそこから自由になれば、自然と女性も性のステレオタイプから自由になることが出来るのです。

 

男性が「男とは攻撃的・アグレッシブであるべきだ」という考え方から自由になれば、女性は比例して男性に従う必要性を感じなくなるでしょう。男性が、「男とはリードし、物事をコントロールするべきだ」という考え方から自由になれば、女性は比例して誰かにリードしてもらう、物事をコントロールしてもらう必要性を感じなくなるでしょう。

 

(出典:エマ・ワトソンがフェミニズムについて国連スピーチで語る – ログミー

 

「女性差別」や「女性の権利拡張」という女性問題から、男性が当事者として考えられるよう「性差別の問題」と訴えた。結果として男性の男らしさがなくなれば、女性が迫害を受けることもなくなると。

 

無関心な人や、敬遠している人を当事者の問題と考えさせ、性差別を解消することはあなた達にとってもメリットがあるとするやり方はとても有用に思う。昨今の主張を見ていると「男女の分断」を煽るような書き込みが見られ、最終的には「男は」「女だって」という子どものケンカのようなレスバトルに終始する始末。

 

こうしたレベルの低い次元で戦うよりも、「性差別を解消しよう」というテーマのもとで男女ともに協力するほうが、はるかに「フェミニズム」の理解が進むのではないか。確かに女性差別は未だに残るものの、「男」と一括りにされて攻撃をするのは男性差別以外の何者でもない。女性のなかでも「ついていけない」「同じと思われたくない」と、フェミニズムへの誤解や理解が進みづらい状況になっているのではないか。

 

男女の分断で言えば「ミソジニー」と「ミサンドリー」という概念がある。平たく言えばミソジニーは女性嫌悪、ミサンドリーは男性嫌悪だ。一部の人たちは性差別の問題は男尊女卑、男性が権力を独占した男性優位社会の構造の問題なので、一見「同じ異なる性への攻撃」という点では同じだが、抑圧される側の女性は脅威も被害者も比較にならないと主張する。だから女性嫌いと男性嫌いは対称ではなく、女性嫌いは非でも男性嫌いが非になるとは限らないという。

 

しかしながら、性別を一括りにして嫌悪するのは「性差別」そのものに違いはない。エマ・ワトソンが主張するように、性差別として問題化すれば男女が分断されることもなく、どちらとも男女の区分けなくひとつの問題として取り組むことが出来る。そこで男性側の主張を無視し、フェミニズムの理解が進むとは思えない。その先に何が生まれるというのか。あるならば「男女の分断」だけだろう。それが理想の社会といえるだろうか。もちろん抑圧されていると感じている女性にとってみれば、「男性の理解など必要ではない」「それでは男性の理解が得られる部分しか社会が変わらないではないか」と主張するだろう。

 

人間社会は、男と女さらにはLGBTと言った<多様な性>で構成されている。過去に男性が女性に対しての扱いは差別であり、現代において到底受け入れられるものではない。だからこそ男女ともに「性差別」として共に協力して問題に取り組むことが必要なのではないのか。共生するには同じ問題意識を持つことが何よりも重要だ。だからこそエマ・ワトソンは国連で上記のようなスピーチを行ったのである。

 

正直に言えば私自身、男に対しても女に対しても「男は」「女は」と性的傾向で一括りにしてしまったことがある。生物として男女の傾向というのは実際に存在するとは思うが、フェミニズムを調べる上でそういう発言を述べるときは、しっかりと考えなければならないと感じた。

 

「男らしさ」「女らしさ」からの解放され「自分らしさ」を追求する。そのために男女もLGBTも一緒になって考える。そうだとしたら素晴らしいじゃないか、フェミニズム。性差別からの脱却を目指すフェミニズム、大いに賛成だ。


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