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自説|なにが正しくて、なにが間違っているのか

人と何かを論ずる際には、自らの主張の「正当性」をアピールし、相手の主張の「間違い」を指摘する。どのやり取りを見ていてもこれが”議論”の基本的な構図となっている。しかし、この世の”正しさ”は幾通りも存在し、”間違い”もまた幾通り存在する。

 

地球温暖化問題や原発問題でも知られる中部大学総合工学研究所特任教授の武田邦彦氏(72)は自身のブログで、「「正しい」というのは、現在まで4つしかありません。神様が決める(宗教)、偉人が決める(道徳)、相手が決める(倫理)、そして社会が決める(法律)」と、この世の正しさについてこの様に述べている。

 

武田教授が仰るように、この世の中には複数の正しさが存在する。余談になるが、私はそれに「自分で決める(信念)」も加えたい。これは先ほど紹介した武田教授のブログの中に明確に否定されており、自分で決めるなんてなんでもありになるではないかと言う声も聞かれそうだが、自分が決める正しさもあるべきである。自分が決める正しさが皆無なら、この世から創造性が失われ、新しい価値観が生まれないからだ。

 

さて、これだけ複数の正しさの根拠があるならば「何が正しいのか」ということを、我々人間は常に悩まなければならない。それにも関わらず、先述した議論の基本的な構図では、自らの主張がいかに正しいか、相手がどれだけ間違っているかを指摘し、自分の主張の正しさを誰も信じて疑わない。かく言う私自身も、「自分で決める正しさ」を正しさに追加した程であるから、自らの主張の正しさをアピールをする。

 

だが結局、100%の正しさというのはこの世に存在し得ないものなのだ。どのような主張でも、誰かにとっては正しく、誰かにとっては間違いなのである。そして、自分の主張は、主張する言葉の前に(”自分が”正しいと思うのは)という文言が省略されているのだ。

 

自身や社会が常識や当たり前と思っている事も、実は完全に正しい訳ではない。しかし、それが多様性を認めるということだ。”正しさ”や”間違い”が固定化され、それを多くの人間が共有すれば秩序を保ちやすくなるが、同時に排他的で生きにくい社会にも繋がってくる。現在の日本がまさにそうだ。

 

この様に考えると、「理想」というのは、どんな意見にも一定「正しさ」は存在し、一定の「間違い」もまた存在する事実を認めることである。一つの「理想」だけを認めることは、その他の「理想」を排除することに繋がるからだ。本当の理想主義者ならば、そこに気付かなければならない。

 

どちらも正しく、どちらも間違ってないことを理解した上で、自分の意見は堂々と発表すればよい。何故なら、先ほどから言うように、その意見はとある人から見れば「正しく」、とある人から見れば「正しくない」からだ。誰かに批判されるのは当たり前なのである。多様性が認められるべき現代社会では、自分の主張がどれだけの人に支持されるかを気にするよりも、自分の主張を見て多くの人に”考えてもらう機会”を作ることにこそ価値がある。自分の”正しい(間違い)”の意見は堂々と主張した上で、相手の主張の”正しさ(間違い)”も理解することが大事なのだ。その認識の上で議論が行われることが好ましい。

 

この記事を読んで、どうしたら良いのか分からなくなった人もいるかもしれない。だが、それで良いのだ。この主張もまた、人によっては正しく、人によっては正しくないのだから。ただ、考えてもらうきっかけになってもらえれば幸いだ。

 


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