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自説|どうか、死なないで

”自殺”を脳裏に過った人間はこの日本社会に何人いるだろうか。そして自殺してしまった人間も、自殺しようとした人間も。年間述べ2万人〜3万人の人間が自殺してしまう国、日本。今日は今まで取り扱ったなかでも最も重たいテーマではあるが、今回は自殺をテーマに取り上げる。

 

こんなことは、あんまり公にすべきでないかもしれないが、自殺を記事テーマとして取り上げた以上言わなければならない。私自身も、自殺したいと思ったことはある。この日本に死ぬ権利が認められ、安楽死という制度があるならば、私はすぐにでも飛びつき、今こうやってブログを綴っていないだろう。むしろ、ここまで社会不適合者な自分を見つめると、そうすべき人間だとすら考えてしまう。しかし、自殺も図れず、ブログやTwitterで社会に文句言っている間は、私は”図々しくも”まだ生きたいとどこかで願っているのだろう。

 

以前にも書いたが、私は今”社会の最底辺”と呼ばれる場所にいる。いつものネガティブさを無理矢理締め上げ、ものすごくポジティブに考えれば、ある意味貴重な経験だ。社会の最底辺という場所は、自ら行こうとする人間は少なく、なってしまった人だけが行き着く場所だ。この”なってしまった人”の気持ちは、普通の健全な人間が理解しようともなかなか理解できまい。

 

そんな私のような最底辺層に生きる人間たちは、世間から大きなバッシングを浴びる。そして、世間のキラキラしている人間達を見ていると、自分なんて死んだ方がいいんじゃないかとそう思ってしまうのも、ある意味自然で、仕方ないことなのかもしれない。

 

しかし、そんな社会の中で、様々な自殺のニュースを目にしてきたが、いざ自殺してしまうと、世間は途端に良い人に様変わりする。今まで平然とバッシングをしてた人が、いざ自殺すると「どうして?」「死なないでほしかった」と言う。その心ないバッシングが死を早めさせる要因になっていただろうに。

 

前にも言ったが、他人の評価というのは実にええ加減である。多くの人間がバッシングすれば、ここぞとばかりにバッシングを始め、多くの人間が良い人間になっていれば皆良い人間になるのだ。マジョリティになると途端に気持ちが強くなる様は実に狡猾だ。そんなものに振り回されてはならない。

 

それでも、自殺することには皆「死なないでほしかった」という。そう、それならば、わざわざ自分から死ぬことはないのだ。どんな愚かな人間であっても、悪いことをしてきた人間であっても、私のような最底辺な人間でも、滑稽な人生を歩んでいる人間でも、世間は自殺してほしくないのである。図々しく生きて良いのだ。何がなんでも生きる道を選んでいいのだ。

 

立派な人生を歩んでいなくても、自分に自信が全く持てなくても、”自信を持って死ななくて良い”のだ。死ぬ必要はまったくない。この社会のなか、生きていると言うのは実に大変なことだが、同じ最底辺の人に、自殺したいと思ってる方々に、周囲に認められていない人間にあえて言いたい。生きて欲しい。

 

私がTwitterのサブアカや、このブログで社会に対して、徹底的に批判しているのは、同じ境遇の方に死んでもらいたくないと思うのと、自分が死にたくないからである。死にたくなってしまう社会を批判し、堂々と生きてもらいたいのだ。滑稽な人生を生きていても、生きる道を選んでいる人は、どんな人間であっても”尊い者”なのである。

 

どうか、この豊かな国であるはずの日本から自殺者がいなくなることを願いたい。私自身も、強い気持ちを持って、誰よりも滑稽な人生であるが、どんな人生でも生きていきたい。

 


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