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自説|私がブログを続けなければならない理由

ブログをはじめて3年が経過する。現在のブログは移転やリニューアルも含め5代目であり、今までどれほどの記事を書いたことだろう。私が書いた駄文を、ずっと読み続けて頂いている少数の読者の方には、この場を借りて謝意を申し上げたい。

 

元々私のブログは、一般的なブログと変わらず、日々の出来事を綴った日記のようなものだった。それは友人とのコミュニケーションツールのひとつに過ぎなかったのである。それがいつ頃からか、自分の考えていることなどを書き綴るブログになっていった。Twitterも同様である。

 

私のブログを見て下さった読者の方は、きっと一度はこういう感想を持ったのではないだろうか。「ニートのくせに、なに偉そうにブログ書いてるんだ」「ニートのくせに、おもしろくない記事書いてるんじゃねえよ」と。至極真っ当、ごもっともである。

 

しかし、私はそう言われても、このブログを続けなければいけない理由がある。それは「他人の視線に負けない人間」にならなければいけないからだ。神様というのは、とても意地悪で不公平で、同い年の人間ではなかなかいないコンプレックスを、私は悲運にも持たされてしまった。どこに行くにも、指を指されて笑われる。今までの人生で、こんなに辛い経験はしたことがなかった。

 

どこに行くにも、他人の視線を気にし、”良い人”であろうとし続けてきた。それが自分なりのアイデンティティにもなっていた。だが、もうどこに行っても、そのコンプレックスだけで敬遠される。自分自身のアイデンティティが大きく崩れてしまったのだ。

 

こうなってしまっては、今までの他人の視線を気にしてきた自分では通用しない。だからこそ、他人に嫌われようと、非難轟々であろうと、自分がやっていることはやり通すという信念を持たなければならないのだ。そうでなければ、私は死んでしまうのだ。大袈裟に書いてるわけではなく、他人の視線に負けない心を持つ事が、私自身これから生きる為に最も必要なものである。

 

「ニートのくせに偉そうにブログ書いてる」「おもしろくない記事書くな」これらの視線に屈して、ブログをやめてしまうと、私はまた他人からの視線に負けてしまうことになるのだ。好きなことも、他人の視線に負けてやめてしまう。もうそんな自分は否定しなければいけない。

 

私はとんでもなく弱い人間だ。だからこそ、非難を浴びるかもしれない、友人が離れてしまうかもしれない、ブログやTwitterで自分の意見を晒すことに大きな意義がある。それを続けなければならない理由がある。もう”良い人”と思われることから、いい加減卒業しなければいけないのだ。

 

このブログをやめた時、それは他人の視線に私が敗北したことを意味するのである。


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