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自説|頭の良さよりも「興味を持てるか」「より深く追求できるか」が重要
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”頭の良さ”は人生に置いて、誰もがうらやむ人物指標のひとつだ。頭が良ければ、良い大学に入って、大企業に勤めて、仕事もスマートにこなす、そんな生活が送れるのではないかと迷妄してしまう。迷妄とは書いたが、事実上にたつ人間は高学歴な頭が良い人間が多くを占めるのは紛れもない事実だ。

 

だが、頭が悪いから必ず低収入かと言えばそうではなく、逆に頭が良いから必ず高収入かと言えばそうではない。この2つの人間を極めて主観的な見方になってしまうが、私なりに分析してみると「興味をもてるか」「深く追求できるか」の2点の差がとても人生において大きいのではないかと思う。

 

まず”興味を持つ”という点は、スタートするきっかけがあるかどうかということだ。何も興味が持てない人間は、どうしても興味を持つことが出来る人間よりも、スタートが遅くなり不利になる。さらに、何にも興味が持てないままで終わってしまうことすらある。人生流れに身を任せ続けた結果、特にやりたくもない仕事についてしまうパターンがこれに当てはまる。

 

その仕事や、興味のあることに「深く追求できるか」が第二のポイントである。中学校や高校などでは”テキトーさ”良しとされ、深く追求していこうとすると”意識高い”と言われ、褒められているのか、貶されているのかどちらともとれるようなレッテルを貼られてしまう。しかし、それは中学・高校という守られている社会での話である。社会ではその逆で、”生産性”が常に求められる。これはある意味、学校にいる間は社会主義的で、社会に出たら資本主義的に考え方が変化する例である。

 

その生産性は深く追求していかなければ、生み出せるものではない。興味があるものを見つけて、実際にやってみて、もっと効率よくする方法はないか、もっと人々が楽しめるものにするにはどうすればいいか、問題点をどうすれば改善できるかなど、そうした追求を繰り返し行うことでクリエイティビティに繋がっていく。言葉でいうのは簡単だが、これが中々出来ない。それは正に学校でよくあったあの雰囲気”テキトーさ”が体に染み込み、”追求”を阻んでくるからだ。

 

頭の良さは、この興味を持てる、深く追求できることの後から効力を発揮してくる。まずは興味を持たなければ、スタート地点に立つこともままならないし、深く追求出来なければ、その頭の良さを使う機会も限られる。頭が良くなくても、ダンスを深く追求したり(ダンサー)、ツッコミの間を追求したり(お笑い芸人)、どうすれば視聴者に楽しんで見てもらえるかを考えたり(Youtuber他)、追求することで世間から認められたり(求められたり)、多くの利益を生み出すことに繋がっていく。

 

学校から外に出てみると、恥ずかしさを持って行動出来ない人間よりも、行動出来る人間を高く評価するはずだ。私は、興味を持つことが出来ても深く追求することが出来ず、恥ずかしさを持って行動出来ない人間であるから、現在の状況に甘んじている。そこには頭の良さ・悪さよりも、自分自身の価値観であったり、哲学的なものであったり、生き方と言ったものの要素が色濃く影響している。

 

頭が良いことに越したことはないが、例えそうでなくても、世間から求められ、利益を得ている者たちに共通することが「興味がもてるか」「より深く追求できるか」と言った点なのである。この2点が仕事をする上や、世間の人たちから求められるために必要な”基本”と言える。

 

もっと言えば、この興味を持ち、より深く追求していくことで”頭が良い”と言われることもあるだろう。深く追求していけば、他の人よりも当然その分野に関しての知識が増えていくからだ。それが自分自身の魅力を磨くことにも繋がっていく。

 

自己否定してしまう人々はまず自分自身が「頭悪いなあ」と嘆くよりも、「興味を持てないこと」あるいは「深く追求できない」ことを嘆くべきだ。この2点の基本を自らの価値観の中心に備え、実行できるようになれば、自己否定する感情が大幅に薄れていくに違いない。

 


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