好きなことを好きなだけ表現する

個人ニュース、コラム、写真などコンテンツ豊富なオピニオンサイト

自説|ダブルスタンダードが自分を救う

────「ダブルスタンダード」という言葉にはネガティブな意味合いが強く含まれている。この言葉を使われた人は信用出来ない人だと非難されたり、ご都合主義な人だと呆れられているだろう。しかし、時としてダブルスタンダードは自分を救うこともあると筆者は声を出して言いたい。

 

私自身、ダブルスタンダードな人間であると自覚している。例えば私は誰よりも「普通」であることを望みながらも、「普通ではない自分」に一定の価値を見出している。それは単純にご都合主義なのだろうか。いや、違う。

 

「白」と「黒」がはっきりしているのは、ドラマや小説などの創作によるストーリーだけだ。現実社会では白と黒がはっきりしていることはほとんどない。どの立場に立ってもメリットとデメリットがそれぞれ存在し、私たちは事あるごとに頭を悩ませながら一つの答えを選択しなければならない。そして、なにかを選択するということは、同時に何かを捨てる選択をしているのだ。

 

ダブルスタンダードでいるには、それぞれのメリットとデメリットをしっかりと認識しておく必要がある。どちら側の立場に立っても、メリットを素直に享受できることや、それなりに立ち振る舞える姿勢は、現代社会で生きていくための術になる。

 

ストレスを抱えやすい現代社会で悩むことも多い現代人だが、例え自分が望まない立場になってしまったとしても、メリットをしっかりと認識しておくことで、悩みを軽減できることがある。生きていればどうしても自分の思い通りにいかないことや、大きな悩みを抱えてしまうこともあるはずだ。そんな時に「どんな立場でも私はやっていける」という自信にもつながる。

 

だから私はいま、マジョリティーの立場になっても、マイノリティーの立場になっても、それぞれにメリットを感じることが出来るし、またそれぞれの良さを主張する「ダブルスタンダード思考」で生きていくことが出来る。この考えに至るまで長い月日を掛け悩むに悩んだ。「どうして自分だけ人と違うことで、こんなに悩まなければいけないのか」と嫌になったこともある。しかし、その結果、悩んだからこそしか得られない答えがあるのだと知った。誰かの相談を受ける時に、人知れず悩んでいる人の気持ちを理解することにも繋がっていった。

 

本来ならば嫌で嫌でしょうがないような、受け入れられない立場に身を置かされた時に、人の真価が問われる。悩みに悩み、それを乗り越えた時、それは大きな価値となる。単に価値と言っても、それは社会にとっても大きな価値だ。誰かの悩みに対して、いいヒントを与えられることにもつながる。

 

9月1日は18歳以下の若者が最も多く自殺する日と言われている。いまどんなに苦しい立場に身を置いていても、社会から蔑まれようとも、そこで悩みぬくことには価値がある。逃げてもいい。戦ってもいい。どんな選択を取って、どんな結果になったとしても、その経験や悩んだ結果には、悩んだ人間にしか見出せない価値が眠っているのだ。それを誰かに伝えていくことで、多くの人々の役に立つ。

 

「同じ悩みを抱えている人がいたんだ」という共感。「そういう考え方で悩みを克服したのか」という新たな価値観の創出・参考。「同じ道を歩めば悲惨な結果が待っているのか」という反面教師。これらは悩みに悩んだ人間がいて初めてこの世に出てくるものだ。恵まれた環境や運の良さだけで生きてきた人間が生み出す価値とは、はっきり言って大きな差がある。その価値を生み出せるのは今悩みに悩んでいる人間にしかできない。

 

「死」を選択する前に、ぜひその価値に目をむけてほしい。生き続けるという苦しい選択を選び続けた末に、普通の人が見出せない貴重な価値がきっと得られるのだ。「普通」にも価値があり、「普通じゃない」にはもっと価値がある。そんなダブルスタンダードで生きていけばいい。

 

苦しくても、生きるという選択をし続けることは、誰にも見出せない価値を自ら見いだす「旅」をしているようなものなのだ。それはそれで、人生の最後には意義のある旅だったという満足感が得られるに違いない。


FavoriteLoadingこの記事をクリップリストに追加する 
SHIGEFIKA会員ログイン




パスワードを忘れた
新規登録
SHIGEFIKA会員とは
週間人気記事ランキング
最新記事
更新情報/Twitter
常論新聞
編集部からのお知らせ