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自説|人間は残念ながら見た目で反応が変わる だがそれに左右されるかは自分の生き様次第だ

私事だが容姿が年々劣化し、引きこもり度が増している。今年はまだ片手で数える程度しか外出しなくなり、ついに自暴自棄に陥ろうとしている。「人の視線を気にすることは愚かだ」と散々このブログで訴え続けてきたが、それは自分に向けたメッセージだった。誰よりも人の目を気にしていきてきたのは私自身であり、まだそこから抜け出すこともできない。

 

容姿が劣化したことで感じたことは、容姿によって相手の反応がまるで違うということだ。ただその場にいるだけで「生理的に受け付けない」と言わんばかりの視線や態度は、これまで味わったことがないだけに想像以上に辛いものだった。気にしすぎと言われればそうかもしれないが、他人の視線や態度に敏感に生きてきた私にとって気にしないことができないのである。

 

我ながら書き込んでいて滑稽だ。生きる価値や本質を見失い、容姿の劣化を気にするなんて。劣化した容姿に勝る生き甲斐や、他に自らの価値がないと言っているようなものだ。たとえ容姿が恵まれていなくても魅力的な人間は、なにか他の部分で圧倒的なスキルや魅力を持っている。自信のあるスキルや内面がなく、魅力のない私との大きな違いだ。私はその他の魅力がないからこそ、劣化した容姿をいつまでも引きずっているのである。しかも、そのせいで自分人生を大きく棒に振ってしまった。ああ、滑稽だ。

 

今年の4月11日付、朝日新聞デジタルの「顔ニモマケズ、僕は生きる 内面好きと言ってくれた彼女」と題した記事で、トリーチャーコリンズ症候群によって、容姿に悩まされながらも、素敵な彼女がいらっしゃる同い年の男性を取り上げた記事が掲載されていた。彼に素敵な彼女がいらっしゃるのは、言うまでもなく彼の魅力だ。それは彼女が「内面が好き」と彼に向けて言った言葉そのものだ。個人的には、多感な時期に容姿について悩み不登校になったものの、一般の大学に入学後、自ら積極的に話しかけて多くの友人を作ったことや、バイトにも挑戦されているところに彼の「強さ」を感じた。同じ容姿問題で社会から逃げ、引きこもり、自暴自棄になっている私とは大違いだ。その強さも彼の大きな魅力の一つなのだろう。

 

この状況から自分一人で脱するには、圧倒的に自信のあるスキルや魅力を身につけることや、好きな仕事や物事にに没頭することが考えられる。しかし、それ以上に他人からの視線に負けない確固たる理念・信念・明確な目標の設定について改めて考える必要がある。簡単に出来ることではないのだが、その目標に向かう「人間の生き様」が、人の魅力に繋がる。「こんな人間になりたい」、「こんな容姿だけど、こんな生き様で過ごしたい」という明確な具体像を持つ人はいるのだろうか。私はこれまで持っていなかったし、持つことすらあきらめていた。これから彼のような生き様を持つことはできるだろうか。正直、自信は持てない。


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