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自説|「暇な時間」がないと、じっくりと考えることができなくなる

常論新聞のサイトを始めてからわずか13日で36記事ものニュース記事を配信した。今まででは考えられないペースだ。様々なニュースが舞い込む中で、情報を整理して記事にするのはかなり時間が掛かる。これまで「暇」だった時間を無理矢理忙しくしたようなものだ。

 

仕事をしていた時も、部活を3つも兼部していた学生時代もそうだったが、今やれることを精一杯していたなかで、何か物事についてじっくり考えようとしたことはなかった。ものすごくしっかりとした考えを持っていたり、自分を持っている人間が自分も含め、周りにも少なかった。なぜか。今になって思うと物事についてじっくりと考えるには、幸せであってはならないし、考える時間が必要だからである。

 

幸せであるということは、何も考える必要がない状態のことだ。不安もなければ、満足感で満ち溢れる。何かを考えてもそこまで真剣に考えなくてもいい。反対に、不安という感情に支配されるとこの先どうすればいいのか、どうやったら解決できるのかを真剣に考える機会ができる。不幸から脱出した経験を持つ人の話に妙に「説得力」を感じるのはそのためだ。テレビ朝日のバラエティ番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」は、まさにそれを利用して視聴者の関心を寄せている。

 

もう一つ大事な要素である「暇」。暇であることを日本人は笑うが、暇でないことが本当に良いことなのか。日本人は働きすぎだと海外の人からの意見に対し、海外の人は怠けてるだけだなんて思ってしまっている人が多いのではないか。しかし、海外の若者は日本人の同世代と比べて、良くも悪くもしっかりと自分の意見を持っていて大人びている印象がある。それは家族も社会も余暇を大事にし、自分の時間をしっかり持っているからではないのか。上述した通り自分の時間を持つことができなければ、なにか物事について浅い考えしか持つことができなくなる。社会人であれば仕事して休みがなく、学生であれば塾に通って、部活をして、宿題をしてと、日本人は何かしら忙しく「忙しい自慢」なんて言葉があるほど、忙しさに酔いしれている。物事について深く考える機会は多いとはいえない。

 

個人的にこれまでにいろんな人と議論や意見交換する場があったが、自分なりの考えを持っている人や説得力の話ができる人間はそう多くはない。ただ相手の人格や失言をつついては優越に浸る者が多くいて、それは決して10代、20代に限ったことではなく、30代、40代、50代にも見られる傾向だ。彼らの考えにはまず自分と同じである前提があって、「もし相手と同じ立場だったら」「相手そのものだったら」という考えがない。自分と相手が同じであると信じて疑わず、そうでなかった場合は「ドン引き」することを表明して、自分は正常な人間であると主張するだけでしかできないのだ。

 

それは多くの日本人が暇であることを悪いことや恥であることと思い込み、自分の時間を持たずに「とりあえず何かをやること」を良しとしてきたからではないか。ゆとり教育の本来の有意義さとは、勉強だけにとらわれず、ゆとりある時間を使って様々な社会問題について、ディベートや色んな意見に触れさせることで、「考えさせる力」を身につけるべきだったのではないか。それを怠ってきた結果、自分からわざわざ社会問題について真剣に考えようなどと思う人間はなく、当事者にならなければ所詮は他人事でしかなくなるのである。

 

サラリーマンや会社勤めしている人たちの心に余裕がない人たちをみていると、暇であることを笑う社会がよくわからない。物事について深く考えなくても、仕事をして世の中のためになっているからいいではないかという意見もあるだろうが、深く考えなければ無自覚に相手を傷つけたり、相手を自分の常識の範囲内でしか判断することができなくなる。さらにストレス過多によって、他人に対して攻撃的になることでストレスを憂さ晴らしし、「ギスギスした社会」や「生きにくい社会」が蔓延していることはすでに自明ではないか。それが社会的にも良いとは到底思えない。

 

この意見はニートと社会人を両方経験した私だからこそ言える意見であると自負している。私たちの社会は「暇」をもっと推奨すべきなのだ。


  

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