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自説|精神論はバカにされるが、精神力がモノ言う時代

 

「あいつどんな神経してるんだ」と呆れた声を出す場面がある。インターネットを15〜6年もやっていればそんな人間は幾度も見てきた。

 

叩かれても叩かれても、問題発言を繰り返すヤツがいて、その度に「社会正義」と心得違いをしているネットユーザーの良い餌になっていた。

 

当時は問題発言ばかりを起こす人間を見るたびに、こんな人間になりたくないなと思っていたが、今では状況ががらりと変わった。この心得違いをしているネットユーザーに打たれ負ける人間は何も成し遂げられない。反対にそのネットユーザーの一員であることに、自らの心根が腐っている気がしてしまった。

 

もちろん問題発言を起こす人間に非があることもある。だが、誰も傷つけない言葉を選び続けてきた結果がこれ(私)だ。精神力がなく、甘ったれている人間に何ができるという。「人を傷つけてはいけない」ということを忠実に守ってきたが、翻ってそれは自分自身を傷つけないためでもあった。私が過ごしてきた学校生活は、学校のあるべき姿としては正しかったのだろう。しかし、いざ学校から飛び出すと今まで習ってきたことが全て嘘のように、他人を蹴落そうとする姿や、利用しようとする姿、お互いを傷つけ合う者たちばかりだった。

 

何も鍛えられていない私がいきなりこの戦場に駆り出されたとき、走り抜ける気がしなかった。足が立ちすくむ現実に為す術もなかった。それ以来、もはや良い人であり続ける意味はないと思った。一般的に経営者や弁護士、医者など社会的地位が高い人間に「サイコパス」が多いと言われているが、この戦場を目の当たりにするだけでその理由が直感的に理解できた。これまでに数え切れないほど「優しい人間」ともてはやされてきて、私自身もそうあろうとしてきたが、「優しい人間」であり続けることなんかに意味はないのである。自分自身にとって。利用されて捨てられるのがオチなのだ。

 

世の中思い通りにいかなくても、出る杭は打たれても、どんなに他人から罵詈雑言を受けようとも、なんとも感じない人間がやっていける社会だ。学校教育で「優しさ」や「思いやり」を学んできたが、この社会においてそんなに重要とは思えない。もちろん重要という人が多いだろうが私の経験上において、必要なのは「打たれ負けない」気持ちである。私の大嫌いな精神論の「趣旨」の部分に関しては一理あると認めざるを得ない。だからといって、精神論の手法そのものが精神力を鍛えるのかと言われれば疑問符ではあるが。

 

実際に社会に出てみたら、精神的に図太く、人間的にお世辞にも良いとは言えない人間が、とても仕事が出来て、いい生活を送っている。ドラマでいうところの「半沢直樹」なんてその典型例だ。企業側の経営者の立場にたっても、精神力が未熟で支障が出るような人間よりも、人間性があまりよくなくても、精神的に図太く、安定して仕事してくれる人間の方が良いに決まっている。どうも学校側が創り出したい人間の理想像と、現実で実際に社会で活躍する人間の理想像が乖離しているように感じてならない。

 

もう一つ致命傷なのが、社会が求めるような人間であろうとし続けることだ。そこに自分なりのビジョンはない。人間なんて社会の考え方と全てが一致することなんてありえない。無理矢理合わそうとするから無理を生じさせるのだ。日本は特に「自分であり続ける」ことを許さない社会である。その上「SNS」の登場によって、これまでは許されていたこと・一部の地域だけで咎められていたことが、すぐに全国区で問題となる現象が起きてしまった。完璧なんてないはずなのに、社会のために咎めずにはいられない状態だ。「生きにくい世の中になったよね」とみんなが声を揃えていうのはそこにある。

 

そのような社会環境のなかでは、ますます「精神的な強さ」が重要になってくる。「許容」する、「やり直すチャンスを与える」という概念が失われつつある日本では、「開き直る」か「気にしない」ことしかやっていける道はない。厳しさを追及し、誰かが何かをやらかせばここぞとばかりに叩きにくるのに、「生きにくい世の中になったなあ」と言う人の気がしれないが、もうこうなってしまったからにはみんな「優しさ」なんて忘れて、開き直って生きればいい。だれかが自殺したり、何か大きな問題や変化がなければ気づかない社会なのだから。


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