好きなことを好きなだけ表現する

個人ニュース、コラム、写真などコンテンツ豊富なオピニオンサイト

自説|友達が多いことはいいことだが、友達がいなくてもやっていける人は強い
a1320_000079.jpg

小学校入学、いや幼稚園時代から「友達をいっぱい作ることは良いことだ」と先生や周囲の大人達から教えられてきた。実際、高校のころまでは友達が多い方が良いと思っていたし、幅広く友達を作ろうとしていた。また高校時代は、写真部部長という役割を担っていたので、他の部活生を中心に知りあいは多かった。友達の数は多い方ではなかったが、そこそこの人数がいたと思う。

 

学校というのは無慈悲なもので、友達が多い人間、少ない人間の差が判然としている。特にお昼のお弁当を食べる際に顕著に分かるようになる。自由に誰とでもごはんを食べていいのだが、それが友達の少ない人間にとって何よりも苦痛な時間となる。多くの生徒は”友達がいない”と思われないようにグループとなって、私は1人じゃないという”安心感”を作る。友達の少ない人間は1人で食べている=友達がいないという事実を”空間”から突きつけられ、いたたまれない気分になる。その結果所謂「便所飯」に繋がっているのだ。

 

そんな中、中学でも高校でも誰とも絡もうとせず、1人で淡々とご飯を食べている者がいた。周囲がその人を見る目は”友達がいなくて可哀想”というものだったのかもしれない。しかし私は彼らに”憧れ”に近い感情を抱いていた。別に皮肉でも煽りでもなんでもなく素直にそういった感情を抱いていたのである。

 

これは私の主観でしかないのだが、ずっと1人でいることは相応の精神力、もしくはポジティブさが必要だ。集団になることは気が楽だが、逆に言うと集団でいなければ何も出来ないということになる。学校という外に出れば、様々な環境があり、誰しも孤立する可能性はある。誰でもだ。そんな時に1人でいることが平気な人間は、安定した成果を出すことが出来るだろう。社会に出れば1人だけでやらなければいけないこともたくさんある。

 

また友達が多い人間は、周囲の影響に左右されやすい。トラブルを避けるために相手を尊重しがちになったり、多くの人間との絡みが多いと当然トラブルになる可能性も高まる。友達とトラブルになった際に孤立してしまうかもしれない。その際に1人でやっていけるか、やっていけないかのリスクヘッジとして、1人でも平気だという者は大きな武器となる。

 

実は私も高校時代、一時期1人でご飯を食べていた。1人でいられる人間に憧れを抱いていたこともあったし、1年生の時に入っていたグループに不満を抱き、2年生になったのを機に1人で食べようと思ったのだ。その結果、周囲からの視線はやはり辛いものがあった。クラスメイト達が心配してくれたのか、「おかずちょーだい」とお昼話し掛けてくれたり、しばらくして、クラスのイケメンの人気者が一緒に食べてくれることになった。人が来てくれたことに私は心のどこかでホっとしていたと思う。結局私は1人でいることが出来なかったのである。

 

友達が多いことは良いことかもしれない。だが、1人でいることが出来る人間の方が遥かに強い。私は誰かがいないと何も出来ないと実感したエピソードだった。だからこそ1人で淡々といられる人に憧れと言う感情を持った。世間は友達が多い方が良いというが、1人でいられることも同時に素晴らしいと伝えるべきだ。

 

友達は無理して作るものではなく、友達がいるから素晴らしいのでは決してないと私は思う。例え1人であっても、なにか目標を見つけてそれに向かって頑張るだとか、夢中になって楽しめることが1つ以上あるだとか、そちらのほうが遥かに素晴らしい。事実、私は友達はいたが立派な人間にはなれずにいる。中高時代に孤立していた人間が、今社会にとって遥かに必要な人間となっている。その事実に目を向けると、長期的に見て友達がいるいないははっきり言ってどうでもいいことだ。

 

そう感じて以降、私は友達がいる・いないで人を判断することもなくなったし、むしろ友達がいなくてもやっていける人がどんどん増えて欲しいと思う。今後は友達が多いも少ないも、どちらにも素晴らしい点があることを、また友達が多ければ素晴らしい人間という訳ではないことを、是非とも教育現場で教えてもらいたい。そうした社会を作ることで、より多様性のある生きやすい世の中になると私は信じている。

 


FavoriteLoadingこの記事をクリップリストに追加する 
SHIGEFIKA会員ログイン




パスワードを忘れた
新規登録
SHIGEFIKA会員とは
週間人気記事ランキング
最新記事
更新情報/Twitter
常論新聞
編集部からのお知らせ