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自説|「悪人」を本質的に考え続けることは反社会的なのか

 

「正義と悪」。このテーマは人類が解決することができない永遠のテーマのひとつだ。文学でも映画でも数多くの作品に「正義と悪」が取り上げられ、テロが世界で頻発するこの世界情勢で、生活するなかでも「正義と悪」について考える機会がある。

 

まず前提として私たち個人が「正と悪」を判断することは出来ない。何が判断するかというと「法」である。もしくは個人が正と悪を主張し、大きな集合体となったときに「社会」となって正と悪を判断することもある。だが、私個人が心の底から大声で「正」と言ったところで、法も社会も「悪」と言えば「悪」になる。従って個人が「正と悪」を判断することは社会システムとして不可能なのである。

 

この「法」と「社会」というのは個人では太刀打ちすることができない絶大な権力だ。この二つに逆らえば直ちに「悪」になってしまう。特に法に逆らえば人権はもとより、時には命そのものすら失う。「法」と言い換えればすんなり受け入れてしまうものの、冷静に考えれば「ルールを破ればお前の自由を奪い、命はないぞ」という非常に恐ろしく厳しいルールだ。そんなルールを作っているのが「国家」であり「社会」である。

 

ところがその命や人権を奪ってしまう恐ろしいルールであるはずの「法」がなければ、もっと恐ろしい世界になってしまう。略奪や暴行、殺人が横行し、秩序が乱れる。だからこそ人々は恐ろしい法を社会のなかに組み込み、受け入れ、生活しているのである。

 

ここまでが私たちの住む世界の説明だ。「法」や「社会」に反すると「悪」であるということが分かった。ところが、この法や社会の正しさというのは時代や地域によって変化してしまう。殺人が認められていた時代もあれば、同じ犯罪でも死刑になる地域もあれば、執行猶予がつく地域もある。「時代や地域が違うのだから当たり前」と言ってしまえばその通りなのだが、生物としての人間は変わりない。悪と言ってもいい加減であり、私たち人類は時代や社会によって翻弄されていると言っても過言ではない。

 

そして法と社会のほうが間違っている場合もある。なんせ人間が作りだしたものだ。地動説を唱え有罪になったことで知られるガリレオ・ガリレイと火刑に処せられたジョルダーノ・ブルーノ。妻と幼い娘を殺害したとして処刑されたが、のちに連続殺人犯の仕業であることが判明したエヴァンス事件。これが契機となってイギリスでは死刑執行が廃止となった。ヨーロッパでは死刑そのものが間違いだという考え方が広まっている。

 

人間全員が違う考え方を持っているならば、各法令や社会の考え方に対して「おかしい」と思うことも自然である。しかし、勇気を振り絞って「おかしい」主張すれば社会的に悪とされ、実行すれば法的に悪とされ最終的には制裁が待ち受けている。すなわち、社会も法もなにも考えることもなく受け入れ、徹底的に厳守する人間こそ社会にとって「良い人」なのだ。実際にそのような法や社会に対する疑義を口にすることは皆避けている。本音ではおかしいと思っていても、いざ口にすれば犯罪者予備軍として敬遠されてしまう。そんな単純思考が蔓延すれば法と社会に疑義を持つ人間=悪という図式の完成だ。表現の自由は憲法で保証されているものの、社会的には言論の自由なんてまだまだ存在しないのだ。

 

昨今の法律に対する議論を見ていても「法律に疑問を抱くって、なにかやましいことがあるからじゃないの?」と言って相手を犯罪者予備軍とレッテル貼りを行うことで、信用度を下げさせ、本質的な議論に持ち込ませない手法が横行している。しかし、人間の自由行動を縛り、違反すれば人生そのものを奪われるものが法律であるからには、本質的な議論が欠かせない。国民にその意識がなければ生涯にかけて法令や社会に対してなんの疑義も持たず、ただの信奉者でいなければならなくなる。「悪人とはなにか」「法や社会は本当に正しいのか」を考えることは、非常に反社会的な面があるものの、誰もが考えなければならないテーマなのだ。そこまで考えなければ、とある法令違反を犯した人間に対して「お前は悪人だ!」と言う資格のある人間は被害者以外にいない。ただ単に、法令を犯した人間もしくは疑義を唱えた人間=悪という図式で非難したとしても、簡単に言いくるめられるか、単純な意見を強引に押し通すしかなくなるだろう。

 

炎上や社会的制裁など、これまで以上に一般人でも制裁が可能になった現代社会。人の人生を奪う「悪」という判断は、キーボードをカタカタ売って、クリックやタップひとつで決められるものでは到底ない。もっと根源的、本質的なことを考えようとしない人間が多いからこそ、簡単に炎上や社会的制裁が起きてしまうのだ。それはマスメディアや社会全体にいえることである。だとすると私は社会や多くの人々に問わずにはいられない。「悪人」とは一体なんであろうかと。


  

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