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ヨーロッパ統合の歴史を調べてみた

(写真:なびく欧州連合の旗)

 

個人的な話だが、学校の授業中に先生が余談で欧州連合(EU)について話をしてくれたことがあった。それ以降、私は欧州はどのような歴史を辿りながら統合したのかという点に興味を持つようになった。そこで今回は欧州統合の歴史について、私が調べまとめた事を簡単に記述していきたい。(高校生:めろん)

 

欧州統合の原点は、石油を共同に管理する構想

 

第二次世界大戦後の欧州復興における資本分配を目的とした欧州経済協力機構(OEEC)の設立を経て、1952年にフランスのシューマン外務大臣による、独仏で奪い合いをするよりも共同で石炭を管理しようという構想に基づき、6カ国(フランス・西ドイツ・イタリア・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)が加盟してつくられた欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が発足した。これが欧州統合の出発点となった。

 

ルクセンブルクの妥協

 

1960年代、大陸欧州主導のもと作られた欧州経済共同体(EEC)に対して、共通関税政策の乖離を理由にイギリスは参加を拒んだが、イギリスは自国の経済を維持できなくなり、後になってEECへの加盟を申し出た。

 

しかし、フランスのシャルルドゴールは、イギリスが欧州よりもアメリカとの繋がりを重視していると考え、加盟に反対し、EECの全会一致の原則によりイギリスはEECに加盟できなかった(のちの1973年に加盟)。このイギリスとフランスの一件を見た初代EEC委員長ハルシュタインは全会一致では意思決定が行えないので全会一致の原則を取りやめることを提案した。

 

しかし、ドゴールの猛反発とフランス代表の閣僚理事会の会議をボイコットしたこと(空席危機)により、閣僚理事会が折れてしまい全会一致の原則が維持された。この一連の事柄をルクセンブルクの妥協と呼ぶ。

 

つまりこのルクセンブルクの妥協によって、共同体の統合に関する最終的な決定についてはそれぞれの国家の意思が尊重されるということが示されたと言える。

 

単一欧州議定書

 

上記のルクセンブルクの妥協によって、EECの重要事項に関する取り決めにおいては、全会一致の原則の適用が維持されることとなったが、1970年代に入り、ニクソンショックによる通貨安と石油危機による石油の高騰による国際競争における日米への遅れに欧州は危機感を持った。

 

しかし、一国一国の国力ではどうする事も出来ないので、欧州内で産業政策と通貨を統合させることが検討され始めた。これに関する利害調整のために意思決定の見直しが急務となった。この時の1987年に欧州委員会委員長のドロールが1992年までを期限に、欧州の市場を統合することを宣言した。

 

この時の議定書が単一欧州議定書である。この宣言を現実のものとするために、特定多数決(人口比に基づき票数を割り当てた多数決方法)が導入され、全会一致の時には通り得なかった法令が数多く通り、欧州の国家統合の動きは加速的に動き出した。

 

その後の1991年に結ばれたマーストリヒト条約によって、EUが創設され、今までNATOに任せきりとなっていた安全保障、外交、社会保障といった政治的な部分もEUが受け持つこととなった。

 

思考の調停の大切さ

 

以上の事例から、ヨーロッパ統合の歴史は、特定多数決による超国家的統合の促進と全会一致の原則による国家主権の尊重という相反するモノの中で揺れ続けていたとわたしは考える。また、1つの地域を束ねて平和と安定をもたらせるためのルール策定の難解さを改めて思い知らされた。

 

このような、相反するルールや思考の調停は、国家などという大きな枠組みに限らず、私たちそれぞれが所属する学校や職場といったコミュニティにおいても大切であると私は考えた。

 

めろん


高校生
2002年生まれ、現役高校生。高校生とは思えない鋭い視点と表現力を持ち、雑学を好む。趣味は読書、特に推理小説が好きで、お気に入りは「シャーロック・ホームズ」。


  

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