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2019年01月23日(木)
自説|推定無罪を無視した社会 一般人に公正な判断は不可能だ

俳優の高畑裕太氏(23)が強姦致傷の容疑で群馬県警に逮捕され、被害者との間で示談が成立し不起訴処分になった。ネット上では真偽不明な情報が飛び交い、憶測による加害者と被害者、更には裕太氏の母親で女優の高畑淳子氏(61)に攻撃的な非難の声があがった。事件が報じられた当初、裕太氏には非難の声・淳子氏には同情の声が大きかったが、示談と不起訴が報じられると世論は一変。淳子氏には非難の声、裕太氏はハニートラップに引っかかったのではと訝しむ声、被害者女性を非難する声があがった。このような擁護や批判が一転するケースは別に珍しいことではない。

 

今年の5月末、北海道七飯町の男児置き去り騒動では置き去りにした父親を怪しむ声が世論の多数をしめた。世論と同く「置き去りそのものが真実なのか失礼ながら疑いたくなってしまいます」、「警察にも間違いなく逮捕される」と教育評論家の尾木直樹氏(69)も自身のブログで投げかけた。行方不明から6日後男児は無事発見された。ここでまた同じく世論は一変する。同じ声を挙げていたはずの尾木氏に批判が殺到したのだ。

 

立場が違うとは言え、インターネット上はどちらも世界に公開されるもの。尾木氏は影響力があると言うが、大手のニュースコメント欄や大手掲示板には尾木氏のブログ以上の人間が閲覧する。そこに同じ言葉を書き込んだ人間は非難されず、尾木氏だけが非難されるのもおかしな話である。同じ意見が多数を占めていた大手のニュースコメント欄では尾木氏に対する非難が相次いでいた。

 

私はこう言った世論の二転三転する「批判」はいい加減で恐ろしいと感じる。推定無罪を無視し、推測で真犯人と決めつけ社会的制裁を下す行為は、法によって人を裁くとする法治国家としてあるまじきことだ。被害を受けた被害者本人が犯人を裁きたいとする心情から、ペンを使って攻撃することは不適切だがまだ理解できる。しかし、関係のない第三者が自ら裁判する前に推測で非難することは許されるものではない。

 

また、誰もが「真実は何か」を知ろうとするが、我々が知る真実というのは断片的であり、一方向からの情報が多い。特に被害者からの視点ばかりなのである。本来、完璧に真実を把握するなど不可能なはずなのに、私たちは何もかも白と黒をつけたがる。加害者の弁護人を非難する人間がいるが、本当に加害者の弁護人は悪なのか。検察が加害者を追及し、弁護人が加害者を擁護し、裁判官が双方の意見を聞いた上で、公平に法律に則って裁きを下す。これが法治国家で行われる裁判だ。

 

真実と言うのはひとつではない。「加害者の真実」「被害者の真実」そして「双方が知らない(誤解など)真実」「裁判で表にならない真実」など、様々な立場や目に見えない真実が存在する。裁判はせめて公平公正に、証拠に基づいて真実に近づくことが精一杯なのであり、世論が欲するような「真実はひとつ」ではないのだ。

 

被害者の真実だけを見ようとしたいからこそ、「弁護人を悪」にしたいという感情になるのだろう。やはり私たち一般人には「公正な判断」など出来るはずがない。犯罪者には法的罰則に加えて社会的制裁を下したいと国民が願うのならば、せめて裁判後に事件の顛末を批評すべきだ。法治国家であるべき姿にならないのはメディア側にも大きな原因がある。

 

私たちは「知ろう」という気持ちが強すぎる。確かに「知る権利」は持っているが、真実の全てを知ろうとすることは当事者でも困難である。それをよく心に刻んだ上で、ものごとを見ていかなければならない。


  

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