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自説|ニートでよかったと本気で思うたったひとつのこと

ニートとして世間の前に立つなんて、皆さん想像したことがあるだろうか。自分は絶対やりたくないと思っているのではないだろうか。それが恐らく普通の感覚である。皆さんのその正常な感覚に乾杯したい。

 

私は誰もが嫌がるニートを経験している。ニートのデメリットについては語らなくても、誰しもが分かることだろうから自ら話す理由はない。しかし、反対に良かったこともあるのでそこだけは理解できる人がいないだろうから、話しておきたい。

 

それは、多くの人間が「立場」を気にしていることを痛感できたことである。「学歴は?」、「職歴は?」、「何をした人なの?」、「今まで悪いことひとつもしてない人だよね?」をまず前提として知りたがる。そこで人間として自分より上か下かを判断し、下のものだと分かれば意見を聞く耳も持たない。立場>意見なのである。

 

それは「意見を述べるなら、まずやるべきことをやれ」という正論にしか聞こえない正論じゃない意見を汲んでいるからだ。意見の場に立場など関係ない。必要なのは正か誤か、画期的か保守的か、自分が考えぬいた真っ直ぐな意見それだけだ。意見を述べる場というのは、例え犯罪者であろうが、無職であろうが、正しい意見を述べれば、どれほど崇高な学歴の高く、まじめで紳士的な人間が誤った意見を述べるよりも、犯罪者を評価しなければならないのだ。

 

インターネットの匿名による書き込み言論空間の唯一のメリットはそこである。肩書きじゃなく意見だけをみる環境が整っている。「立場」というのは非常に力を持つ参考にすべきモノではあるが、それを正しいと決めつけてしまうのは間違いだ。同じ意見でも立場が変わればあっという間に聞く耳を持つ人が増えることの違和感を感じたことのある人間はどれほどいるだろうか。私がニートから新聞記者になった時、もし今後何かで成功した時に感じるであろう違和感を。

 

もし私がまたジャーナリストを志すならば、立場が絶望的に弱い人の意見をいかに汲み上げるかをひとつの目標にするだろう。その時は自分がニートだった経験を「良かった」と思うその時だ。

 

「偉い人」を盲信してしまう人間の生態を理解し、こうやって権力者やいい加減な宗教を疑うまでもなく信じ込んでしまうのだなと感じたのである。自分よりお金をいっぱい持っている人、頭が良い人、良い職業に就いている人、人気がある人。彼らを間近で見た時に人は彼らを無条件に「すごい人だ」とちゃんと自ら接する前に信じ込んでしまう。立場だけをみる恐ろしさはそんなところでも容易に想像することが出来るのだ。これはマルチ商法などでも、人を信じ込ませるための手法として多く取り込まれている。

 

ことわざにこんな言葉がある。「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」。馬は乗ってみなければ善し悪しが分からず、人と接しなければその人の性質は分からない。つまり、何事も経験しないと分からないのだから、やりもせずに評価したり批判したりするべきではないという意味だ。

 

その事を痛感することが出来たのは、立場上誰も意見を聞いてくれない「ニート」という環境に身を置けたからである。さて、ニートとして世間に立つのが嫌だと感じ、ニートの立場を下と見ている皆さんはいつそのことを痛感できるだろうか。


  

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