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自説|いじめの正体は、あなた自身が持つ正義感だ

 

自殺をする中高生のニュースが後を絶たない。「いじめ」が自殺の要因になっていることが多く、学校内のいじめ問題をメディアが取り上げ、教育評論家を始め多くのコメンテーターらが議論している。学校内でのいじめ問題も大切なテーマであることは間違いないが、私は大人のいじめも同じほど大事な報道テーマであると認識している。何故なら、児童期や青年期の少年・少女は世の中の「空気」を敏感に感じ取り、時には真似事をするなど、自身の行動に大きな影響を与えるからだ。

 

大人たちが作り出す雰囲気や慣習に、いつの間にか染まっていき大人になっていく。目に見えないようで大人達の影響力は計り知れないものがある。その大人達がいじめを行っていると、やはり子どもはいじめを行う。子どもだけに「いじめはダメ」と言っても意味がなく、ましてやその大人たちがいじめをしていたら、なんの説得力もないのである。

 

現実はどうか。「社会の厳しさ」という言葉を盾にして、1人のダメな人間を徹底的に叩き潰す。最も悪質なのは、本人は自分が正義で社会的にも当たり前のことだと錯覚し、罪悪感など微塵も感じていないところだ。異質な人間、不完全な人間が居ればすぐに標的にし、少しでも外れた行動や言動を行えば袋叩きだ。1人が叩き始めると、それを合図に全員が叩きはじめる。1人がやり過ぎだと反省すると、それを合図に「私もそう思う」と言う者で溢れ、今度は叩いていた者を叩く善人者が集まってくる。この繰り返しで、今私たちが生きている世の中は“善人者”だらけの社会なのだ。

 

その姿はまさに“いじめ”そのものに映る。むしろ社会の厳しさという盾を持っている点では、こちらのほうが深刻な問題だ。権力を持つ「報道」が率先して袋だたきにする場を提供する。芸能人のゴシップ記事やスキャンダル記事など、まさにその象徴だ。人間は良い面ばかりではなく悪い面も必ずある。報道の人間ならば、プライバシーも関係なく隅々まで調べればどんな善人でも悪人に仕立て上げることなど簡単だ。だから、芸能人のゴシップ記事やスキャンダル記事というのは私はあまり好きではないし、仮に意義があっても価値があるとは思えない。

 

このようにこの社会には、国全体として“いじめ”を行う土壌が形成されている。ヘイトスピーチやデモでの汚い言葉、週刊誌などのゴシップ・スキャンダル記事、それらを受けて我々一般人の正義から出てくる反応。これらを見て子どもたちは何を思う。これらをしている大人達から「いじめをするな」と教え込まれる。実におもしろい社会だ。この社会で育った子どもはきっとこう思うだろう。「異質なものや不完全なものは叩いても、バカにしても問題ない。異質ではない私が正しいし、大人達も同じ事しているのだから」と。

 

何気ない一言が集まると、鋭利な刃となって人の心に突き刺さる。それも1度だけではない、何度も何度もトドメを刺すまで刺し続けようとする。それがこの国の大人達が自慢げに言う「社会の厳しさ」であり、「正義」なのだ。

 

そして、この声に耳を傾けることができる大人たちもいない。少なくとも誰でも1回は“いじめ”に加担したことがあるはずだからだ。反省よりも自己保身に走ってしまうのは人間の性ともいえる。さらにその“正義感”が生活基盤にもなっている人間も少なからずいる。いよいよ我々大人達を再教育し直す機会について、本気で考えなければならない。

 


  

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