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<終戦の日>いつまでもこの平和はあるのか、平和と戦争の狭間に考える

(写真:東京大空襲で焼け野原になった東京=石川光陽撮影)

 

72回目を迎えた「終戦の日」。我々日本国民が先の大戦で命を落とした310万人に対して哀悼の意を捧げ、平和について考える日である。戦後の日本は72年もの間、戦禍を受けることなく平和であり続けた。それは戦後の先人たちが不断の努力を行い、国際貢献、安全保障体制の確立、経済発展を成し遂げたからであり、その努力なくして現在の繁栄はない。享受しているものとして改めて感謝の想いを抱く。

 

誰もが平和に思いを馳せる日ではあるが、平和と相反する戦争についても考えなければならない。未だ世界各地では内戦も含めた武力による衝突が行われている。近年で言えば2001年から現在も続いている「対テロ戦争」、イラクが大量破壊兵器を隠し持っているとして米国中心の有志連合によって軍事介入した「イラク戦争」、地理的に欧米とロシアに挟まれているウクライナで親欧派と親露派が東西で対立し、ロシアが介入した「ウクライナ内戦」、中東シリアで政府軍と反体制派による戦いがアメリカ・ロシアの支援によって代理戦争と化している「シリア内戦」などがある。

 

まだ直接的に武力衝突はしていないものの、軍事的緊張が高まっている場所もある。北朝鮮と韓国は現在休戦状態であり、核・ミサイル開発を進める北朝鮮とそれを非難する米国との間で、お互い挑発が続いている。また、マドゥロ大統領が独裁化を推し進めるベネズエラに対して、米国のドナルド・トランプ大統領が軍事介入を示唆するなど、世界から戦争の砲の音が止む気配はない。

 

「平和」への努力は絶対的なものだが、その平和は永遠ではないということは誰もが口には出さないが知っている。過去の歴史を見ても、世界情勢を見ても、いまの平和は次の戦争までの「切れ間」である可能性が高い。その切れ間にただ平和を享受するだけではいけない。この期間に国家として、一国民として「平和になるにはどうすればいいのか」、「いつ戦争が起きても、しっかり対処できるように準備するべきか」という問いに答えなければならない。

 

終戦の日に次の戦争に向けて準備をするなどと不謹慎だと言われてしまいそうだが、それもまた平和について真剣に考える際に避けては通れないテーマである。これを抜きにして平和を叫ぶだけでは、平和も訪れずいざという時の対処もできない。日本人全員が空気を読んで「平和」と叫んで終わるよりも、この二派に分かれて議論をしたほうが余程建設的だ。

 

議論の効果は他にもある。「武力も持たず、平和国家であるべきだ」という主張でも、「いつ戦争が起きてもいいように軍事力は必要だ」という主張でも、議論をすることによって「自分の主張は本当に正しいのだろうか」と考え始める。言葉で自分の意見を述べるということはかなりの重みがある。無責任なことは言えなくなり、しっかりと自分の頭で考えるはずだ。相手との話し合いのなかでお互いのメリット、デメリットを主張しあえば、戦争の悲惨さをより強く認識することにも繋がり、なぜ戦争をやめることができないのかという本質的な問いに嫌でもぶつかることになる。終戦の日こそ、こうした議論を学校でもマスメディアでも民間でも積極的に行うべきだ。

 

誰もが口を揃えて「平和」を叫ぶ日ではあるが、本音や本質を踏まえた議論を怠ってはいないか。そうした議論を積極的に行わないほうが、私は危険であると考える。ただ、そうした土壌を作るためには日本で蔓延る論破した者を賞賛するという風潮をなくさなければならない。議論は論破すれば良いものではなく、自分にない相手の主張を真摯に考えることだ。相手の意見に納得して、それによって自分の意見が変わってもいいのである。それが情けないとか、悪いとかではない。自分にない意見をしっかりと受け入れ、柔軟な対応ができることは、むしろ良いことである。議論と討論は違うという認識を、まず根付かせる必要はあるだろう。

 

私個人の考えとしては、現在の情勢では安全保障に軍事力は欠かせないものだと考えている。敵基地攻撃能力を含めて、国防軍を創設することは賛成だ。しかし、安易にその手段を使うことはないよう、憲法に侵略行為を否定する条文は必ずセットでつけなければならない。マスメディアは当然として国民としても軍事力を持つ以上、徹底的に政権を監視しなければならない。軍事力を保持しても、その行使に関してはかなり抑制的である仕組みを国全体として作る必要がある。

 

「右傾化する日本」と最近よく言われるが、それは軍事力を実際に保持していないために、それに伴うリスクをリアルに実感できないという層も多いのではないだろうか。実際に保持して軍をコントロールすることの大事さをリアルに実感することも、軍事力行使に対する大きな抑止力になるのではないか。もちろん、現在行われている平和教育のような授業もより重要になってくるだろう。ただの抑止力だけでなく、国内における「平和」や「戦争」について、多角的・本質的に考えるためにも、私は国防軍の保持に賛成する立場である。


  

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