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「愛の鞭」という名の支配欲

親が「叩く」などの暴力を使わなければならない理由は何か。それは口で言っても言うことを聞かない場合がほとんどだろう。しかし、「叩くことで言うことを聞く」という味を噛み締めた時、安易に叩いてしまったり、日常的につい叩いてしまう機会が増えてしまう危険性は十分に認識しておかなければならない。それはいつしか「支配欲」に変化する。自分の言うことを聞く人間がいることは、人間にとって快感になることもある。それが身内であってもだ。自分の言うことを聞くことが当たり前という前提があれば、ついカッとなってしまい、虐待に繋がることもあるだろう。

 

親が子どもにしなければならない教育は、「何故?」を考えさせる教育だ。私は周りの人間や、親に忠実に言われたことを守るだけの人間だったが、それは自分で考えるという機会を失っていた。自己表現すらできなくなっていたのだ。考えさせることを実現するためには、親自身も子どもから「何故?」と聞かれたら、明確に答えられるようにならなければならない。もし親自身がわからなければ、時には一緒になって考える時間を作り、根本から「何故ダメなのか」「何故やらなければならないのか」を子どもに理解させる。そうすることで、自然と自ら考えることが身につき、怒られる理由も根本的に理解することができる。

 

小学校のころ、同級生に担任の先生を背負い投げするほどのわんぱく坊主がいた。その当時は正直のところ、わんぱくすぎて彼のことを近づきがたい人間だと思っていたし、怖いと思っていた。彼は私と反対に、しょっちゅう先生から怒られていたが、めげることなく自分の主張、やりたいこと、考えを堂々と述べていた。成績も次第に優秀になり、有名な国立大学を卒業している。私のいとこも子どもの頃はとても「生意気」で怒られていたが、偏差値70の高校を卒業し、様々な挫折を経験して大学を卒業。性格も穏和になり、現在は医者を目指している。彼らに共通する点は、しっかりと自分の頭で考える思考力を育まれ、かつ怒られてもめげずに、自分なりの主張や方法を追求するというところだ。

 

そう考えると、「怒られてもめげない」性格の強さや、自分自身の考えを主張出来るほどの「思考力」というのは、人間の成長にとって重要なものなのだ。だが、それは「恐怖心」や「叩くしつけ」によって得られるものではない。むしろ恐怖心や叩くしつけは弊害となるだろう。

 

「叩く」という行為はそれだけリスクを伴っている。大人が「暴力」を使用するときは、よほど急迫的な場合に限定するべきだろう。この厚労省が進める「愛の鞭0作戦」が、子どもを叩くと言う行為について足を止めて考えるきっかけになることを願ってやまない。


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