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2019年01月22日(水)
他人に厳しすぎる日本人と他人を気にしすぎる日本人 誇りある日本はどこにあるのか

日本は世界でも安全で秩序が保たれている国として知られている。東日本大震災では日本人の冷静さや、大きな混乱もなく、秩序が保たれていたことなどが海外メディアから称賛され、私たち日本人はそれを誇りに思っていた節がある。

 

しかし、その一方で「世知辛い」と感じることもたくさんある。全員が空気を読みながら同じ方向を向くことで秩序が保たれてる一方で、それは自由を奪っていることに他ならない。自分に全く被害が無いことでも、大きなお世話ですぐにレッテルを貼って他人を非難しなければ気が済まない人たちで溢れている。そんな自由の無さは他人を攻撃することでストレス発散、自尊心を高めるある種のエンタメ要素になっており、ただギスギスした社会になっていくだけだ。

 

最近では乳がんを患い闘病中の小林麻央さんに対して、心無い批判で溢れかえっている。ブログで収入を得ていると噂され、「ガンビジネス」などと批判されているのを見ると、とても日本人に誇りなど持つことはできない。小林さんは自らのブログで発信しており、もしそれでお金を儲けていたとしても何が悪いのか。批判している人がお金を払って見ているわけでも無く、小林さんがブログで儲けていたとしても別に何の被害もない。それにお金が稼げるならば稼いで、治療費にあてることはむしろ良いことだと思わないのか。ブログでお金を稼ぐことがよくないなんて、どういう考えから来ているのか謎というほかない。

 

さらにこれまで批判一辺倒だったコメント欄が、誰かの正論によってその場の空気が変わると、主張も一変することもある。自分で考えた意見ではなく他人の意見に流されている人が多いのか、もしくはそれを「柔軟さ」と褒めてよいのか分からないが、基本的に賛否両論というよりは、どちらか一辺倒に偏る傾向がある。

 

そんな他人を許せないメンタリティーと同時に、他人を気にしすぎるメンタリティーを持った人が多い。私もその一人だが「他人から自由を許されないから、自らも他人を許さないのではないか」と最近になって思うのだ。日本人の多くが嫌うステレオタイプである自己主張が強い人はワガママで優しくないというイメージがあるかもしれないが、本当にそうだろうか。周囲の視線を気にするあまり、様々なことを我慢してきた人や、自分がまともだと思っている人の方が他人を許すことができないのではないか。「あいつはまともじゃない」という批判は、自分がまともであると思っているから出てくる言葉であり、日本社会では割とよく聞く批判だ。

 

確かに日本は安全で秩序が保たれているものの、ギスギスした社会は年々強くなっていると感じる。みんなが幸せに暮らしていて、余裕があるから秩序が保たれているわけではない。自分の生活や、人間関係、自由が常に脅かされるかもしれないという恐怖によって秩序が保たれている。それは本当に誇ることができるものなのか。その恐怖は常にストレスを抱えることになり、ギスギスした社会をさらに拍車をかけ、いつか限界がくるのではないかと危惧している。

 

もちろん全ての自由を許せば秩序は必ず崩壊するが、現在の日本は過剰に他人に厳しい社会になっているといっても過言ではない。社会制裁できるインターネットというツールが手に入り、どこもかしこもクレームや炎上、晒し行為が相次いでいる。私たちは自分の自由にも、他人の自由にももう少し寛容になるべきだ。毎度ながら完璧な人間などこの世には存在しないし、人間としての完璧さという概念自体も存在しない。ある程度寛容な精神を持ち得てこそ、日本人は世界に誇ることができると私は思う。


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