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天皇陛下と生活保護 ブラックな労働信仰に翻弄される両者

譲位の意向を表明された天皇陛下(写真=kanegen氏)

 

天皇陛下が譲位の意向を表明され、政府は有識者会議を開き特別措置法を整備する意向で検討に入った。陛下が譲位の意向を表明されたのは、昨年8月。「私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年天皇として自らのあゆみを振り返るとともに、この先の自分のあり方や務めにつき、思いを致すようになりました」とお言葉を述べられ、高齢による公務の負担を訴えられた。

 

現在82歳の陛下は、公務や祭祀によって休みがほぼない状態だという。法律に目を通され署名・押印する「執務」は年間1000件を超え、静養中にも書類に目を通されるという。こうした背景を受け、国民の多くは譲位に賛成する者が圧倒的だ。各社の世論調査を見ても、約7、8割が賛成している。新語・流行語大賞にも選ばれ、電通社員の自殺問題が大きく取り上げられるなど、日本の社会問題化している「ブラック企業」をふまえて「まさに日本の象徴だ」とネット上では話題になった。

 

日本では労働信仰と言われるほど、労働に対して価値観が置かれている。生活保護のニュース記事などを見ていると、「生活保護受けるくらいなら死んだ方がマシ」という意見が当然のようにあり、当然のように共感ボタンを押される。正直、狂気とすら思えてしまう思考だが、それがこの国では当たり前のようだ。労働>生命という考え方は私には到底理解できない。

 

このような理解できない考え方が日本は他にもたくさんある。例えば「産んでくれた両親に感謝するのが当たり前」というが、自分の意志でこの世に産んでもらったわけではない。幸せな生活を送っていれば、感謝するのも自然だろうが、不幸せや社会的に不適合だった場合にも感謝しなければならないだろうか。たとえ不適合者でも、感謝しなければならず、自殺することはいけないとされ、引きこもりや生活保護に助けを求めれば非難される社会だとすれば「残酷」というほかない。自らの意志でなく生まれてきた以上、どんな人間でも生活を営む権利は持っているはずだ。それにも関わらず「生活保護受けるなら死んだ方がマシ」と平気で豪語する人間は、本気で安楽死制度について声をあげて推進してもらいたいものだ。その方がよっぽど人道的である。

 

天皇陛下と生活保護受給者を同列に並べるなんてと批判されてしまいそうだが、私は両者とも労働信仰による被害者だと考えている。国民の象徴として、労働される陛下のお姿を尊敬するのも自然だが、この社会ではそのくらい労働しなければ認められないのではないだろうか。現に、皇太子妃雅子さまは療養される機会が多く、それに対する批判も多く聞かれる。愛子さまの不登校問題が取り上げられたときも、「母娘そろって嫌なことから逃げているだけ」などという心無い批判が多く見られた。

 

つまり、それぞれの背景や精神的な事情など考慮せず、当人が限界を迎えてからようやく認められるのだ。自殺する前に逃げた人間に対しては厳しい声をあげ、自殺したあとに「かわいそう」などと平気で言うのが日本国民だ。そんな「国民性」であるにもかかわらず、ブラック企業のことをよく批判できるなと思ってしまう。何もかも欺瞞に思えてならない。

 

もしも、陛下が今ほど公務をされていなかったら、国民は認めないのだろうか。税金の無駄遣いだと言うのだろうか。嫌なことから逃げているだけと言うのだろうか。その「無責任な労働信仰」や「まともな日本人像」が、多く人間を苦しめてることに我々はいつ気づくのだろうか。


  

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