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石原元都知事の会見 「知らなかった」はあり得るのではないか

 常論新聞のサイトが1日に完成し、それ以降は常論新聞の紙面ビューアーの制作作業に勤しんでいた。その最中、築地市場の豊洲移転問題で都が百条委員会を設置したことを受け、石原慎太郎元東京都知事(84)が記者会見を開くというので、作業をしながらインターネットテレビで会見を見ることにした。

 

 石原氏によると豊洲への移転に関しては「自分自身には科学的な知見がないので、専門家に任せた」「議会が決めたことなので、みんなの責任だ」と言い切った。私はこの発言を支持したい。なんでもかんでも「自分が悪かった。私一人に責任がある」と言わせようとする社会に対する風刺となろう。とりあえず謝らせて屈服する姿を社会に見せることが「責任を取る」ことだと世間は勘違いしすぎなのである。

 

 私は役所で臨時職員という末端で働いていた経験がある。その際に施設の許可を求める市民の同意書に「市長印」を押すことも業務の一環だった。つまり、市長印を押すと言っても職員に一任されている場合があるのである。そうでなければ膨大な事務作業に追われ、行政の長としての仕事ができない。

 

 都知事となれば一国の国家予算に匹敵する規模を持つ自治体の長だ。部下や職員に一任することはありえない話ではない。それは今回の記者会見でいう「係りの者が、判子を預かっている課長さんが私の判子を捺してことが決まったわけですけどね」という言葉で説明している。ただ、「行政の責任って裁可した最高責任者にあると。これは私も認めます」と会見で述べていたように、最高責任者としての責任はあるが、私一人の責任ではないということだ。まったくその通りだろう。これらの説明で疑問を感じるならば「男らしくない」とか「侍らしくない」とか「自分で責任を取らないなんて往生際の悪い」とかその程度の認識ではないのか。

 

 なんの科学的な知見もない知事が科学者たちの意見を聞かずに、「私の責任で進めるから口を出すな」というほうがよかったのか。トップにいる人間が判断しかねる場合は、科学者や専門家、職員などの意見を踏まえて判断するか、それらに任せた報告を受けたものをトップとして認可するしかない。その方が合理的なやり方だろう。そういう意味では石原氏の会見にはそこまで違和感を感じることはなく、むしろ違和感を感じたのは無理矢理、ひとりの人間だけに責任を問うメディアや世間の声だった。


  

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