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2019年01月22日(水)
自説|監視社会をどう感じるか

ロイター通信は4日、米ヤフーが米情報機関からの要請を受け、同社が提供するサービス「ヤフーメール」の全受信メールをスキャンしていたと報じた。米国といえば元国家安全保障・中央情報局局員のエドワード・スノーデン氏が政府による個人情報の収集を告発したことで知られる「監視社会先進国」だ。

 

国家ぐるみだけではない。現代社会は「SNS」を中心とした国民相互監視社会になっている。社会から「悪」とされる人間を見つけ出しやすくなった功と、過剰な炎上やバッシングが後を絶たない罪の面がある。まるで江戸時代の5人組制度を拡大させたものにも見え、普遍的な価値観を持っている者や、そのように演じている者だけを良しとする「全体主義」を彷彿とさせる。

 

ネット社会以前には、人々を監視するために膨大な人間を雇用する必要があった。しかし今やデータベースに情報が蓄積され、個人が何に興味を持っているか、どういう人間と繋がりを持っているか、どこに住んでいるかなど手間を掛けずとも容易に分かるようになった。それに加え一般人もが監視し、時には制裁を加えてくれるのだ。権力側と一般人の両方が個人を監視する現代社会は「パノプティコン」と「シノプティコン」の両面を併せ持った「超監視型社会」と言っても過言ではない。

 

監視の目を常に意識しなければ生きてはいけないため、国家の秩序維持には有用なシステムだ。しかし、個人としての自然な感情や意志は当然軽視される。近年「世知辛い世の中になった」と述べる人間が多いのは超監視社会のなかで「目指せ、全国民聖人君子」状態だからだ。過ちを認めない厳格な社会を求めるのは結構なことだが、そこには「個人の考え」を軽視する傾向にあり、これまで私が散々否定してきた社会的制裁という「公開処刑場」が用意されるのだ。

 

過剰な監視社会は「主体性」がなくなりかねない。普遍的な価値観に合わさなければ「社会的制裁」という恐ろしい罰が待っているからだ。普遍的な価値観に絶対信仰している人間は、監視社会に違和感を抱くことはなく、普遍的な価値観と違う価値観をもっている人間は違和感を抱く。この問いに対する答えが「監視対象の指標」となることも興味深いが、私は主体性が失われやすい環境要因を作ることを危惧し、あえて主張しておきたい。


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