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ジャーナリスト拘束で自己責任論再燃、安田純平さんの新画像公開
▲ネット上で公開されたフリー
ジャーナリストの安田純平さん
とされる男性の画像

昨年6月、内戦中のシリアを取材していたフリージャーナリストの安田純平さん(42)が行方不明となった事件で、安田さんと見られる男性の画像が新たに公開された。先月29日に、ネット上で公開された画像には安田さんと見られる男性が「助けてください これが最後のチャンスです 安田純平」と書かれた紙を持っている姿が写されていた。岸田文雄外相は「本人だと思われる」と話している。

 

画像公開を受けて日本のネット上では「自己責任論」が再燃した。ネット上では「自分でまいた種、自業自得です」、「行くなと言ってるのに金までたかってきては迷惑でしかない」、「もうかれこれ(拘束されたの)5回目なんですよね いい加減にしてほしい」、「こんなに同情できない被害者も珍しい」と安田さんが過去に何度も拘束されたこともあり、批判的な声が相次いだ。

 

2015年にもフリージャーナリストの後藤健二さんがイスラム過激派組織「イスラム国」(IS)に殺害された事件でも同様の自己責任論が渦巻いた。紛争地や戦争を取材するジャーナリストには冷ややかな視線が国民から向けられている。ジャーナリストは何故危険を承知で紛争地や戦争を取材するのか、危険な紛争地や戦争を取材すべきではないのか、考えたい。

 

まずは基本的な事実確認だが、私たちが今後行くことすらない国々の情報が得られるのは彼らジャーナリストが取材をして、発信する情報を受け取ることができるからだ。彼らがもたらす情報によって、私たちは安全な場所から踏ん反り返って好きな意見を言い合える。それは何も紛争地に限ったことではない。過去の情報統制をされていた時代、現在情報統制をされている中国や北朝鮮と言った国々を見ていると「知らない」、「知ることができない」という恐ろしさは誰もが想像できるだろう。

 

ジャーナリストは民主主義国家のなかで、「国民の知る権利」を代行する大きな役割を担っている。それが職業としてのジャーナリストの価値だ。イラクやシリアなどの危険地域でも彼らの取材活動があって、戦争の惨状や実態を知ることができる。情報を得ることが容易になってきている現代において、「情報は簡単に手に入る」という国民の麻痺を解く必要がある。

 

一方で、フリージャーナリストは職業軍人と違って公務員ではない。どこかの企業に勤めているわけではなく、自らの取材活動の成果によって生活費を稼いでいる。そのフリージャーナリストが最も需要がある場所というのは、やはり命の危険がある「戦場」ということになる。誰もやりたがらず、かつ必要な情報であるからだ。日本では大手マスコミの既得権益化している記者クラブ制度があるため、国内ではなかなか需要ある取材がしにくい社会的背景もある。生きるために、命の危険を冒さなければならないとすればなんという皮肉か。

 

もちろん日本政府としては、断固として要求を退けるべきである。1度でも相手の要求を呑んでしまえば、別の邦人が連鎖的に危険に晒される可能性が高い。安田さんもツイッターで「戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を「自己責任なのだから口や手を出すな」と徹底批判しないといかん」と自己責任を逆手に日本政府を批判したことがある。自己責任を覚悟で取材活動にあたっていたに違いない。

 

ただ、この問題は単に「自己責任」という言葉で一括りにして総括して良いものとは思えない。私たちの知る権利を代行するジャーナリストに、あまりに冷然たる意見ではないか。情報を与えられて当然と考える人間が多いのか。その意識の希薄さはある意味で「幸せな国」の象徴なのかもしれないが、あまりに残念な意見だ。


  

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