好きなことを好きなだけ表現する

個人ニュース、コラム、写真などコンテンツ豊富なオピニオンサイト

自説|貧困女子高校生問題、貧困とねつ造は別問題だ

今月18日、NHKのニュース番組「ニュース7」が高校生の貧困問題を取り上げた際に、貧困を訴えた女子高校生が贅沢をしていたとインターネット上で大きな話題となった。自身のSNSに、歌手のライブチケットやアニメグッズを大量購入していた画像が投稿されていたことから、NHKの報道がねつ造ではないかと疑問視する声が多く挙がった。

 

私はこの女子高校生が貧困ではないと言い切る自信はない。何故なら多くの人間は娯楽を楽しんで生きている。その為にいくら貧困であろうと、食費や衣類、電気代などを我慢して娯楽費用を捻出する可能性も考えられるからだ。自分自身の収入をどこに多く使うかそれぞれの家庭の問題であるから、この彼女の家庭の収支状況を見なければ貧困も、貧困でないも決めつけることが出来ない。そしてそれはプライバシーの問題であるから、私たちはこれ以上首を突っ込むべきではない。

 

仮に彼女が貧困でないとしても、それは喜ばしいことだ。もし貧困ではないと分かっていて、貧困だとNHKが報道したのならば、放送したNHKに大きな問題があることは言うまでもない。しかし、今回の貧困問題の本質は「教育に不平等」がある日本への問題提起である。

 

数千円や数万円もするグッズ費用を捻出して購入したとしても、彼女が「大学・専門学校」に進学する費用を捻出することができるかは疑問だ。グッズと大学・専門学校に掛かる費用ではケタがまるで違う。貸与型の奨学金にしても、社会に進出した時に何百万もの借金を背負う人間と借金ゼロの人間とでは格差があることは言うまでもない。その借金を背負う負担から、進学をあきらめた学生がいることも私は知っている。

 

大学等は勉強したい人がいくところだと良く言うが、それは現実の社会と照らし合わせて、本当に正しいのだろうか。学歴社会である日本は、少なくとも大卒でなければ就職先が大きく狭まることは誰もが知っている。大卒でさえ自らの希望する企業へ就職することが困難な時代だ。だから「大学全入時代」とも言われ、高校を卒業したら5割以上の人間が“就職のために”大学に進むのである。

 

「優秀な人間は給付型の奨学金がもらえる。勉強をおろそかにしてきただけだ」という意見は一理あるが、高等教育は「頭の良い人間」か「金持ちの人間」しか受けられないなら、不平等と言わざるを得ない。現在は「頭が悪くて金持ちの人間」が負担なく進学できるならば、「頭が悪くて貧困な人間」も負担なしで進学できなければおかしいのである。「頭の良い人間だけ」か、「全員が平等に経済的格差なく教育を受けられる」かの二択が、本当の意味で「平等な教育の機会」なのだ。塾等の機会も考えれば本来は後者が最も教育の平等で、入学ではなく卒業させることを困難にすればよい。

 

教育が誰でも経済的に平等であれば、子どもだけでなく、私のようなニートや、今の生活に不満を持ちもう一度やり直したいという人間にも、非常に大きな活路になる。それは日本社会にとって良いこととして返ってくる。

 

教育分野は特に国民が全員で負担してでも、平等に得られる機会にするべきだと私は声を大にして言いたい。教育は優秀な者だけではなく、優秀でない者も何かを考えるきっかけになる。何かを気付かせることもまた教育なのだから。


  

FavoriteLoadingこの記事をクリップリストに追加する 
SHIGEFIKA会員ログイン




パスワードを忘れた
新規登録
SHIGEFIKA会員とは
週間人気記事ランキング
最新記事
更新情報/Twitter
常論新聞
編集部からのお知らせ