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新時代は「令和」、希望の持てる時代にするには「寛容の精神」を官民で

政府は新たな元号を「令和(れいわ)」にすると発表した。皇太子さまが新天皇に即位される5月1日から施行される。

 

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元号はこれまで中国の古典から引用されてきた。昭和は書経から「人々が徳性を明らかにすれば、世界が平和になる」という意味。平成は史記と書経から「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味を持つ。一方、令和は日本の国書である「万葉集」から引用された。長い元号の歴史で異例だという。新たな時代に日本の素晴らしい国書から引用されたことについて異論はない。新たな時代がやってくるという新鮮な気持ちになった。

 

しかし、令和という文字を見て、「命令」や「律令」を想起した人は少なくないようだ。正直に言うと、私もその一人である。私は個人の自由を重要視している人間なので、元号を使う由来となった「皇帝が空間も時間も支配する」という昔の中国の考えや、ナショナリズムを重視している現政権を鑑みて、「令」の字が入るとどうしても「命令」を想起してしまう。

 

ただ、令嬢、令名といった良い意味合いも含まれているという。ネット上では令の字に対して抵抗がある方々が「元号を使わない」と強い拒否感を示しているが、私は良い意味合いも含まれているならそこまで目くじらを立てることも思っている。国民主権となって2度目の元号、良い時代にするかは我々国民がどれだけ政治に関心を寄せ、より良い社会にしていくか考えることにかかっている。これまで以上に主権者である自覚を持ち、これまで以上に政権や政党に厳しい目を向け、政治議論が熟す社会になることが良い社会実現につながる。

 

令和を良い時代にするかは、主権者である私たちの政治への向き合い方次第だ。

 

寛容の精神を官民で根付かせたい

 

国連の関連団体が発表した幸福度ランキングでは日本が過去最低となる58位。なかでも他者への寛大さが92位と低い。日本人の美徳となっている「言い訳をしない」「自己責任」も思考停止や不寛容さにつながり、自らの首も締めているのではないか。そんな「生きづらい社会」によって110万人以上の引きこもりを産み出してしまってはいないか。

 

他人に寛容になれなければ、それは自分にも巡り巡ってくる。他者が失敗すると執拗に叩き潰すほどの社会で幸福は訪れるのか、冷静になって考えるべきではないか。なにかに失敗してしまった人、人生に行き詰まっている人、躓いてる人たちに手を差し伸べ、その人が社会で活躍できればそれでいいはずなのに、「甘い」「自己責任」と突き放すばかりで、息苦しい社会が出来上がってしまった。この現状を多くの人はどう思っているのだろうか、それでも自己責任を追及しつづけるのか。

 

「甘い」と言われる基準も人それぞれだと思うが、困っている人を助けるというのが社会やコミュニティーの存在意義だろう。今手助けが必要としない人でも、いつ助けてもらわなければならない立場になるかわからない。その時のことも考えれば、「救済手段」を第一に考える社会になれば、人々ははるかに生活しやすくなる。競争社会だからこそ敗者の救済手段が手厚く保障されてこそ、安心して暮らせる社会といえるのではないか。

 

私は人間の道を大きく外れ、社会復帰に困難を極める立場だ。救ってもらいたいという「甘さ」がないわけではない。だが、同じ道を辿る人間はこの先何千人、何万人といるだろう。そういった人たちには、もっと元の道に戻りやすい社会であってほしい。移民政策が進むと言われているが、手を少し差し伸べてもらえれば、社会で活躍したい。現状をなんとかしたいと思っている人も大勢いる。若くして絶望し、自ら死を選ぶという若者も減らすことができるだろう。

 

官民で寛容の精神を持ち、スポットライトを浴びる人にだけ目を向けず、表舞台から姿を消しかけている人々に手を差し伸べてあげるような、絶望から希望を見いだせる社会にしてもらいたい。


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