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2019年01月22日(水)
<不倫報道>不倫をして議員辞職・離党する必要はあるのか

民進党の山尾志桜里衆院議員が7日、週刊誌「週刊文春」の不倫報道を受け民進党に離党届を提出した。これまでも本サイト記事にて散々言ってきたことだが、「不倫報道」がこの世の有益になるのか私は疑問だ。不倫というのは社会通念上許されるものではない。かくいう私自身も浮気も不倫もされれば嫌な気持ちになる。しかし、不倫報道によるバッシングやそれによる国内に対する影響力がここまで大きいことに関しては、かなり異常なものだと受け止めている。

 

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不倫はあくまでも当事者の家庭内の問題だ。極論を言えば、「お互いに不倫をしても別にいい」という夫婦関係もあるかもしれない。社会としてはそれを不健全というのかもしれないが、夫婦間の問題である以上は夫婦がそれを納得していれば特に問題はない。仮に夫婦間で同意されていない問題であったとしても、わざわざ世間に報道して知らしめてなんになるというのか。不倫をした芸能人や有名人たちが世間に詫びる意味もなく、それを被害を受けたわけでもないのに「許さない」と躍起になる人間たちの必死さもわからない。

 

週刊誌は自分たちの報道によって権力を持つ国会議員を離党・辞職させたという実績が残り、自らの売り上げにつながるがために不倫記事を書く。不倫記事を見て「許さない」という人たちは、騒動をお祭りと勘違いして一人の人間が世間に晒され、懺悔する姿を心待ちにしている。まさに「社会の下劣」を見ているかのようだ。不倫したならばパートナーから慰謝料なり、平手打ちされるなり、離婚されるなりの制裁を受ければそれで良い。営利企業である週刊誌の「不倫キャンペーン」に、国会議員も、有名人も、一般人も、これほどまでに影響されてしまう社会は実に残念だ。

 

今回山尾氏は会見や自身のブログで「男女の関係はない」と不倫を認めないものの、離党届を提出した。私は民進党支持者ではないが、山尾氏の離党は極めて残念だ。なぜ不倫ではないというなら離党届を提出したのか。仮に不倫が事実だったとしても、離党も議員辞職もせず、家庭内で話し合うだけで良いはずだ。不倫をして社会が迷惑を被ったのではない。パートナーが迷惑を被ったのだ。私たち有権者は「不倫しない国会議員」が最も価値があるなんて思っていない。「有権者がいい生活ができるように仕事をする議員」を求めているのだ。

 

自民党の宮崎謙介元衆院議員も不倫問題で辞職したが、山尾氏も同様に離党したことで、国会議員が不倫をすれば議員辞職・離党するという流れが作られることになる。また極論を言うが「仕事はできないが清廉潔白な議員」と「仕事をするが不倫をする議員」。どちらが多くの有権者にとって利益をもたらすかといえば断然後者だ。不倫が良いか悪いかは家庭で勝手に決めれば良いのであり、わざわざそれが仕事の進退を左右するべきではない。不倫している人間を「顔も見たくない」と思う人間もいるかもしれないが、それは感情論でしかないのだ。清廉潔白であり、頭脳明晰であり、行動的であり、仕事ができる世間様がお望みの人間を探すとなると、それをいかに見つけることが困難か、想像に難くない。なぜなら私たちはただの人間だからである。

 

不倫キャンペーンや、バッシング祭り、感情的な好き嫌いによる判断、自らの好き嫌いという感情を捨て、冷静に判断することはできないのか。不倫報道の過熱そのものがある意味、不健全なものではないか。不倫をした者を擁護する気は毛頭ないが、それ以上に社会的に問題のある現象だ。


  

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