好きなことを好きなだけ表現する

個人ニュース、コラム、写真などコンテンツ豊富なオピニオンサイト

【ドラマ感想】NHKスペシャル 東京裁判
▲実際の東京裁判の判事席

クリスマスの夜、私は先日NHKで放送された「東京裁判」を視聴した。70年前、第二次世界大戦で戦勝国が戦争犯罪人と指定した日本の指導者たちを裁いた東京裁判こと極東国際軍事裁判を、裁く側の判事たちの視点で描くドキュメンタリードラマだ。東條英機などの被告人や検察官の映像は、実際の映像に彩色されたものが使用され、現代の役者が演じる判事達のフィクション映像と本物の映像がうまく混ざり合う斬新なドラマである。

 

(※当記事は作品の内容、物語の核心に迫る記述がされています。ご留意の上記事をお読み下さい。)

 

恥ずかしながら、歴史の教科書で習ったことくらいしか東京裁判のことは知らなかった。それも戦争を取り扱うドラマと言うのは、一方的な立場からメッセージを込められて制作されるものが多い。最近、歴史物に興味がわいていた時期だったので、ただそれだけの理由で録画しておいた。従ってはっきり言って期待はしていなかったのだ。

 

だが、今回のドラマの視点は裁く側の判事たちだ。裁判という以上、法律に則り公正・公平に裁かなければならない。個人的にその立場から物事を見ることが好きであり、正義の反対は悪とされやすいドラマでは目新しい視点だと感じた。その意味で裁判官という入り口は私にとってはとても見やすいものだった。

 

しかし、その公平な裁く側の視線で見ていた私をいきなり訝しむ展開となる。戦勝国から選ばれた11人の判事が判事を務め、そのなかにはオーストラリアのウェッブ裁判長、フィリピンのハラニーリャ判事がいた。ウェッブ裁判長は、過去にオーストラリア政府の依頼を受け日本軍の残虐行為を調査していた人物であった。ハラニーリャ判事は日本軍に投降し、アメリカ軍やフィリピン軍の兵士が炎天下のなか収容所まで徒歩による移動を行わせ、多数の人間が死んだ「パターン死の行進」を経験。

 

こうした判事を選任することは、客観性を欠くもので疑問が残る。劇中でも清瀬一郎弁護人が同じ理由でウェッブ裁判長に対し忌避を申し立てた。しかし、その他の裁判官は「裁判所憲章の第2条には最高司令官であるマッカーサー元帥の任命する裁判官をもって構成する。これに基づいて本裁判所においては、最高司令官により任命されたものは職を解かれません」とその申し立てを却下した。

 

また、インドから途中参加したパル判事は裁判の争点であるA級戦犯「平和に対する罪」、C級戦犯「人道に対する罪」という法は1945年に作られたもので、それ違法化する前に行われた行為を裁くことは事後法となり、近代法の原則である「法の不遡及」に反する。よって、被告人全員を無罪にするべきだと主張した。なぜ事後法があるかといえば、権力者が気に食わない人間をあとからいくらでも好きに処罰することができるようになるからだ。それに後から作られた法律が、作られる前の行為にも適用範囲が及べば、人間は萎縮し何も出来なくなる。自由が奪われるのだ。パル判事は法律家としての考え方から、その点を指摘したのである。

 

大勢の命が失われた第一次世界大戦の反省から、1928年のパリ不戦条約で侵略戦争を違法化することになった。しかし、指導者を裁くことまで成文化していなかった。そこで第二次世界大戦後に平和に対する罪と人道に対する罪が新たに付け加えられ、B級の通例の戦争犯罪と共にニュルンベルク裁判と東京裁判で裁かれることになった。ちなみにA級のほうが重大犯罪というわけではなく、ただ単のカテゴリ分けにすぎない。BC級戦犯も約1000人が死刑判決を受けている。

 

つまり、事後法の観点からするとA級を根拠にした有罪及び刑の執行は東條英機などの当時の被告人たちに適用することが出来ないはずなのだ。それにもし彼等が罪に問われるならば原子爆弾投下や民間人を狙った東京大空襲などの無差別爆撃も罪に問われるべきだとする弁護側の主張は理にかなっているように思える。

 

日本の侵略戦争を否定するための論だと主張する人もいるようだが、問題点はそこではない。個人は法律に則って裁かれるべきであり、人間が人間を裁くのであれば私刑である。もしも裁かれるべき人間が裁けないという事態になった場合は、後に手続きに則って法律を新たに作ってそれ以降の人間に適用するほかない。近代法の原則が破られれば、権力者の暴走を許しかねないのである。裁判官は正義を下すヒーローではない。裁判官が下す判決は私情に流されず法律に基づいたものでなければならない。検察も弁護士もそうだが、彼等は社会のなかで役割を与えられた人間にすぎないのだ。

 

被告人を追及するという役割、被告人を何があっても弁護する役割、その二つの役割から双方の言い分を聞き、法律に沿って判決を下す裁判官。この3つそれぞれが公平・公正に重要な役割を果たす。彼等は正義のヒーローでもなんでもなく、ただの重要な役人(役を与えられた人)である。追及される一方、弁護する一方では公正な判決は出せない。

 

しかし、ドラマのなかの裁判官たちは「新しい殺戮を食い止める」という個人的な正義感を持ち込んでいるように見える。その意義そのものは間違いとは言い切れないが、裁判官としては不適格だ。その自身の信念を裁判に持ち込んでいる時点で、「重要な役人」としての役割を破棄したことになる。

 

その点パル判事の判決は、法律家として裁判官として最も適当な判決だったように思える。裁判としての争点は日本の行為に対して肯定・否定する議論ではなく、当時(現時点)の法律で人間を裁けるのかである。だが、戦勝国側が選択した裁判官は正義を持ち込んで、近代法の原則を無視して裁こうとしてしまった。最終的にはA級だけでなくB級である「通例の戦争犯罪」でも有罪判決を出すことによって、批判をかわそうとしたようだが。

 

いずれにせよ、裁判官からの視点で歴史的な東京裁判を観ることができる貴重なドラマであり、それぞれの立場の判事たちがそれぞれ思いを胸に議論や工作を行う場面など、ドラマとしてとても見応えがある4時間(全4話)だった。また、主役を正義として判決を下そうとする多数派とパル判事のいずれでもなく、それぞれの判断を聞いて苦悩するオランダのレーリンク判事を選んだことは、「裁判官的」でよかった。

 

歴史的なドラマは私自身の不勉強さを指摘してくれる。まだまだ、調べることによって東京裁判に対する見方も変化しそうな、そんな気がしてならない。何度も見返したいと思うドラマがまた増えた。


  

FavoriteLoadingこの記事をクリップリストに追加する 
SHIGEFIKA会員ログイン




パスワードを忘れた
新規登録
SHIGEFIKA会員とは
週間人気記事ランキング
最新記事
更新情報/Twitter
常論新聞
編集部からのお知らせ