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【映画感想】永遠の0は決して戦争賛美ではない

生きることを誰よりも望んだ男が、なぜ特攻したのか

▲(C)2013「永遠の0」製作
委員会

今更ながら、テレビ東京製作のドラマ「永遠の0」(原作百田尚樹)を見た。映画版は家族で一度見に行ったので、永遠の0は2作品見たことになる。私は小学校高学年のころ、太平洋戦争と兵器に関する本を親に頼んで購入してもらい、暇があれば読んでいた。中でも特攻作戦についての記述は最も印象に残っているが、私が戦後生まれだからか「理解不能」の4文字が最も適切な感想であった。本作は私がずっと理解できなかった特攻を描いた作品である。

 

(※当記事は作品の内容、物語の核心に迫る記述がされています。ご留意の上記事をお読み下さい。)

 

宮部久蔵は帝国海軍の優秀なパイロットだったが、仲間の多くからは「臆病者」と揶揄されていた。戦闘中も戦線から早期に離脱し、仲間が戦っているなか「高みの見物」し、いつも機体に傷跡ひとつなく帰投していた。「私は死にたくない」と堂々と主張するその姿勢に多くの軍人達は反感を持っていた。そりゃそうである。命がけで戦っている仲間をよそに、1人戦線離脱していたのだ。しかも、抜群の腕を持つパイロットが戦線離脱しているのは、同じ戦っている仲間からすれば見捨てられたに近い感覚を受けても仕方ない。当時の社会的な思想からすれば、私も宮部の行動や言動は理解し難く、非難していた側の人間であっただろうと思う。宮部の行動に深く考えずとも共感できるのはきっと、現代に生きているからこそだ。

 

しかし、宮部は決してただの「臆病者」ではなかった。上官に背いて殴られようと、日本人が無意識に求める“空気を読む”ことから逆らってでも自分を貫き通すその姿勢には感銘を受けた。当時は顕著な全体主義であった。上官の命令は絶対だし、民間人でも「反戦」を口にすると疎まれるような時代だった。私が生きている現代は、当時ほどの全体主義ではないが、やはり“空気”に逆らうことはしにくい。本音や思想を好き好きに簡単に言える時代とは言い難い。まだ「マシ」になっただけだ。そんな「マシな時代」を生きている私は空気に逆らう勇気を持っていない。宮部を見ていると周囲に迎合してしまう自分自身を恥じ入るばかりである。

 

そこまで頑に死ぬことを拒み続けた男が何故特攻に志願したのか。映画でもドラマでも結局明確な答えは出てこなかった。宮部が生きて帰ることを使命としていたのは、結婚したばかりの妻との約束だったからである。その約束を反故にし、自分の生きる信念を捨ててまで、特攻に志願し、教え子である若い飛行機乗りを助けた。

 

私は敢えて宮部のこの行為を批判したい。若い命を救い、結果的に奥さんや子どもはその若い飛行機乗りと結婚して幸せになった。自分が犠牲になって、若い人を助けたいという思いは頭が下がる。下僚たちに対し「生き続けろ」と訴え続けてきたが、目の前で教え子たちが出撃していく姿を見て耐えられなかったのかもしれない。それでも信念を貫いて欲しかった。空気に逆らい続けても信念を貫くことができる人間は宮部しかいなかったからだ。

 

この作品は、よく言われている「戦争賛美」でもなければ、「戦争の悲惨さ」だけを訴えているわけでもない。空気に逆らってでも自分の意見を貫くことの辛さ、崇高さを表した作品だ。「空気が読めない」という私が最も嫌いな言葉が蔓延する日本で、どれだけの人間が自分の意見を大切に出来ているのか。社会にただ合わせた意見ではなく、どれだけ自分で考え、その意見を実行できているか。そういった問題を提起する作品であったようにおもう。

 

当時の言論弾圧が解決したようで、表面上解決しただけに過ぎない現代人に気付かせようとしたように思えてならない。この映画を戦争賛美だ、反戦だと論じている方々は視点を変えてみることをおすすめする。


  

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