好きなことを好きなだけ表現する

個人ニュース、コラム、写真などコンテンツ豊富なオピニオンサイト

【アニメ感想】PSYCHO-PASS サイコパス第1期 何も考えない幸せか、自ら考える幸せか

社会のシステムにどれだけ疑問を抱けるか

▲PSYCHO-PASS

昨日、「PSYCHO-PASS サイコパス」(フジテレビ)1期を1話から全て見返した。どの作品にも共通して言えることだが、何度も見返すことで、はじめて見たときに気付かなかった登場人物たちのセリフの意味をより深く理解したり、作者の意図が見えてくる。当作品も、哲学チックなものが随所に散りばめられており、見返してみるとさらに深い世界に引き込まれて行く。警察もの、アクション、SF、哲学要素、どの角度からでも楽しめる魅力的な作品だった。

 

(※当記事は作品の内容、物語の核心に迫る記述がされています。ご留意の上記事をお読み下さい。)

 

時代は2112年。人間の性格、心理状態などを分析・数値化できる「シビュラシステム」を導入した日本は、仕事適正や犯罪者までシビュラシステムが徹底的に監視・管理する世界になっていた。それは自ら考えて行動することも無く、自身の幸福をすべてシビュラシステムに委ねていた。

 

結果的にシビュラシステムにより秩序が保たれ、誰もが仕事を持つことになり、シビュラシステムを疑う人間がいない社会となっていった。主人公は常守朱という学生時代に職業適正診断であらゆる官公庁の職業にトップレベルの適正を叩き出し、公安局刑事課一係に配属された新米監視官。もう1人の主人公は常守の部下で、高い洞察力を持った監視官だったがとある事件により犯罪係数が悪化した狡噛慎也執行官(執行官は犯罪係数が規定値を超え隔離施設に送られた潜在犯から適正で選ばれる)。そして、悪役として、常に紙の本を読み、思考力が高く、犯罪を犯しても犯罪係数があがらない免罪体質の持ち主槙島聖護。槙島がシビュラシステムに疑問を抱き、数々の事件で暗躍し、公安局である常守や狡噛が槙島を追うというストーリーだ。

 

しかし、実はこの3人には共通する考えがある。それは「自分で考え、自らの意志によって行動する」ことを最も大事にしている点だ。第1話で常守が潜在犯化した監禁・強姦されていた被害者を殺害しようとする狡噛を撃った(怪我させる程度)。新米監視官である常守の判断力に懐疑的になる公安局員であったが、撃たれた狡噛は彼女の行為を評価する。恐らくこの一件で、狡噛は常守にひと味違ったものを感じたはずだ。ただ常守をかばったわけではない。誰もシビュラシステムを疑わない時代に、シビュラシステムが殺害すべきと判断した者に対して自分の考えを優先し、実行したのである。

 

そのことが試されるシーンが他にもある。常守の友人である舩原ゆきが槙島にナイフを突きつけられた時、常守が槙島に未来型の銃を向けるが、免罪体質者故に犯罪係数が下がるため銃を撃つことが出来ない。そこで槙島が昔ながらのライフル銃を常森に渡し、撃ってみろという。常守は発砲するが槙島を捉えることは出来ず、友人は目の前で首を刺されて殺されてしまう。この時に槙島は常守に「失望した」と言う。槙島を銃で捉えることが出来なかったのは、シビュラシステムの犯罪係数をまだどこかで信じていて、犯罪係数があがってない人間=犯罪者ではない人間を撃つ恐ろしさによって躊躇したからだと槙島は推察したのだろう。目の前で友達が殺されかけ、実際に犯罪を犯しているのに。結局常守はシビュラシステムをまだどこかで信用し、自らの考えや行動を起こせず、友人を救えなかったのだ。

 

槙島が数々の事件を起こしたのも、自ら考えて行動しようとしない社会・人間に疑問を感じていたからである。私は正直槙島の考え方にかなり共感した。過去の私が執筆したブログ記事を見て頂ければ分かるだろうが、槙島と同じ主張を数多く書き連ねてきた。劇中に出てくるセリフでも「だがね、僕はむしろ評価する。孤独を恐れない者を、孤独を武器にしてきた君を」と言うものや、常守との会話が私の槙島への共感する思いをさらに強くさせる。

 

「僕はね人は自らの意志に基づいて行動したときのみ価値を持つと思っている。だから様々な人間に秘めたる意志を問いただし、その行いを観察してきた」「そうね。あなたの気持ちいまなら少しだけ分かるかも」「そもそも何を以て犯罪と定義するんだ?君が手にしたその銃、ドミネーターを司るシビュラシステムが決めるのか?」「違うよね、それがそもそもの間違いだった」「サイマティックスキャンで読み取った生態力場を解析し、人の心の在り方を解き明かす。科学の英知はついに魂の秘密を暴くにいたり、この社会は激変した。だがその判定には人の意志が介在しない。君たちは一体何を基準に善と悪を選り分けているんだろうね?」「きっと大切だったのは善か悪かの結論じゃない。それを自分で抱えて悩んで引き受けることだったんだとおもう」「僕は人の魂の輝きがみたい。それが本当に尊いものだと確かめたい。だが己の意志を問うこともせず、ただシビュラの信託のままに生きる人間たちに、果たして価値はあるのだろうか」「ないわけないでしょ!あなたが価値を決めるっていうの?誰かの家族を、友達を、あなたの知らない幸せを!!」

 

これは物語終盤に出てくる常守が槙島との会話を妄想した一場面なのだが、この時点で常守も槙島の言う「自分で考えること」に共感しているのだ。狡噛も犯罪者になる覚悟で公安局から脱走し、槙島を殺そうと決意し動いている。だからこそ、槙島は狡噛を高く評価するのだろう。自分と似た人間の登場に喜びを感じているのだろう。1期の感想なのに、2期のセリフを持ち出して申し訳ないが、常守はこう言っている「社会が必ず正しいわけじゃない。だからこそ私たちは正しく生きなければならない」「間違いを正したいと言うあなたの心も、あなたの能力もこの社会には必要なものよ。社会は一人一人が集まって作られるもの。あなたが正しくあることが、社会を正しくするものでもある。あなたの正義は尊いものだから」

 

結局、狡噛も常守も槙島の考えに同意したのだ。槙島は殺されてしまうが、さぞ嬉しかったことだろう。自分を殺すのが、自分の考えを体現した者たちによって殺されるのだから。もしかしたら槙島は自分を殺す人間=自らで考え、実行する人間の出現を望んでいたのかもしれない。

 

その一方で、それが体現出来るのは彼らが「頭の良い人間」であり、同時に「強い人間」だからであるとも言える。シビュラシステムの通り、適性を受けて、それに従ったままの方が良い人生を送れる人間は、考えることが苦手な人間か、意志を実現できない弱い人間なのである。多くの人はだいたいそうであろう。弱い人間にとっては理想的な社会であるかもしれない。私も正直シビュラシステムの適性診断が羨ましく感じることもある。

 

それでも尚、自ら考え出した結果がより尊いものだと信じたい。シビュラシステムがある社会だけではない。現代における社会システムのおかしいところをそれぞれが考えなければならない。いまの日本で当たり前となっている法律、人物評価基準、学歴社会、教育、宗教、常識、道徳諸々。ひとつひとつに目を向け、個人それぞれが深く考えなければならないのだ。


  

FavoriteLoadingこの記事をクリップリストに追加する 
SHIGEFIKA会員ログイン




パスワードを忘れた
新規登録
SHIGEFIKA会員とは
週間人気記事ランキング
最新記事
更新情報/Twitter
常論新聞
編集部からのお知らせ