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SMAP 28年間の活動に幕

国民の誰もが知る28年間の歴史に幕が降りた。国民的アイドルグループ「SMAP」のラストステージは、代表曲である「世界に一つだけの花」を歌い、何も語らず全員が深々を下げて終わった。呆気なく終わってしまったラストステージを見て、明日からもうこの姿が見れないと思うと余計に寂しさが募る。

 

生まれて24年間、テレビをつければいつもそこにSMAPの姿があった。学校でも運動会や3年生を送る会などでSMAPの曲が頻繁に流れ、また家族そろってSMAPの番組を見てきた。コンサートに1度も行ったこともなく、SMAPのCDを買ったことがないような熱心なファンではない私が、こんなにも寂しさを覚えるのはそれほどSMAPの存在が日常化していたと言うことだろう。SMAPの解散が報じられると多くの国民が彼等の動向を気にした。日常化していたのは私だけではないようだ。

 

なぜ彼等はこんなにも愛されたのか。振り返ってみるに、彼等の凄さはその特異なスター性だった。

 

「スター」という言葉から思い浮かぶのは、特殊な技能を持っていて、奇抜な格好で人をひきつけたり、独特の雰囲気を漂わせ、周囲をいい意味で萎縮させる持ち主だ。しかし、SMAPは正直歌はそこまで上手いわけでもなく、圧倒的な演技力があるわけでもなく、周りが萎縮するようなオーラを放っているわけではない。どちらかというと、親しみやすいオーラが漂っていて、かつ全員が独特の個性を持った絶妙なバランスを兼ね備えている。誰からも受け入れられる親しみやすい特異なスター性、それが日本で老若男女から絶大な支持を誇り、国民的アイドルと言われるようになった。

 

ただ、この28年間に彼等は多くのものを手にいれたと思うが、同時に多くのものを犠牲にしてきたはずだ。多くの国民から愛されるためには「偶像」に徹しなければならない。これだけの国民から好かれることは、そのために自分自身の私生活や本当に好きなもの、やりたいことを犠牲にすることもあったに違いない。それが例え自分自身が選んだ仕事だとしても、偶像として私たち国民の期待に28年間答え続けた功績を讃えたい。グループの解散劇で何があったのかは本人たちや、彼等の周囲の人間にしかわからない。その理由を知りたいと願い、解散が寂しいと思うファンがいるのも当然だが、彼等が解散を望むならば我々は受け入れるほかない。せめて、これからは今まで犠牲になった時間や、やりたいことを思いっきりやってもらいたい。もう我々国民から好かれる義務や理由はないのだから。

 

これから私の日常にはもうSMAPはいない。そして時が経てばSMAPがいないことが日常になる。ただ、生きてきた24年間には私の中にSMAPの存在が確かにあった。その事実が変わることはない。そして「28年間お疲れさまでした」と伝えたい。


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