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低学歴ニートが見た、高学歴ニートへの林修先生の授業

授業のココに納得!

 

番組の中で最も納得したのは、林氏お馴染みの「十字」を書いて分析する手法。林氏の番組を見ているとよく出てくるヤツだ。縦線で分断すると左右に分かれ「やりたい仕事」「やりたくない仕事」が基準となり、横線で分断すると上下に「できる仕事」「できない仕事」という基準になる。縦横十字に分断し分かれた4つのスペースは右上から「やりたくてできる仕事」、右下は「やりたいけどできない仕事」、左上は「やりたくないけどできる仕事」、左下は「やりたくないしできない仕事」と分ける。ここでも林氏は「やりたい仕事がしたい」というニートたちを否定せず、ジョブズ型だと分類する。そして、ここでもう一つの考え方を提案する。「僕みたいなタイプはできるか、できないか。多くの他者がこの人ならできると認めてくれるというできるを重要視する」というのだ。

 

林氏曰く、「やりたい、やりたくないは偶然。人間の願望は環境や情報とか外部の要因に出会ったもの。ゲーム作りたいって言ってたけど、100年前に産まれてたらその願望なかった」、「人は情報に欲望を喚起されて、願望が生まれる。やりたいって本当に絶対的なものなのか。偶然の出会いでいつの間にか情報が内部化されて、思いにすり替わってないのか」と指摘する。その一方で「できるは偶然ではない。必然」。「考え方変えろとも言わない。僕みたいな人間がいるってことも頭に入れてくれたらそれで十分」。強制はせず、やりたいことをやってつまずいた時に考え方を変えれば良いというアドバイスにみえた。私自身も記者になりたいと何度も挑戦したがダメだった。やりたいことがダメだった時、じゃあ次どうするかという考え方としてひとつの道を示していただけたとおもう。

 

ただ同時に高学歴ニートの人たちと違って、他人から見て私ならできそうって思われるものってないなとも感じた。それは自分で培うしかない。やりたいとは思わないが、できそうなものをみつけ、培って「あの人ならできそう」と思われるように努力するしかない。

 

せっかくならニートの経験活かすべき

 

以前から考えていたことではあるが、ニートという社会問題の当事者となった以上、それを活かす方向に進むべきではないかと思っている。林氏は「社会で必要な能力は解決と創造である」と授業で述べていたが、社会復帰が並大抵のことではないと実感したことでそれを解決する一助になれたらなと思う。それができればニートになったことにも意味がある。いや、意味があるようにしなければならない。

 

たとえそれが正当化する理由と言われたとしても、林氏のいう「解決する能力」につながったのならなんの問題もないはずだ。自分に何ができるかという問いに、「できるものがない」「できる自信がない」と答えるのが正直なところではあるが、当事者の立場から問題解決につながるサービスを考えることはできる。現在の行政の引きこもりやニート対策には様々な問題があり、限界がある。ニートである自分だからこそ考えられるかもしれない。それは社会に役立つだろうし、良い目標になるにちがいない。

 

正月明けから良い番組をみることができた。ただひとつだけ言っておきたいことがあるとすれば、ニートは働きたくないから働かないというステレオタイプだけではなく、様々な事情がある人が多いということを知ってもらいたい。番組の演出上しょうがないのかもしれないが、適切な環境さえ用意すれば彼らだって社会に貢献できる人もいる。

 

そして素敵な授業をした林氏だけではなく、この番組に出演したニートたちにも敬意を評したい。ニートであることを顔出しで公衆に晒される役割を担ったのだ。もちろんギャランティーももらっているのだろうが、日本全国民の前でその役割を担うことは大変だ。特にSNSが発達した現代では永遠とその場面が残るかもしれない。同じニートだがなかなかできることではないと思う。林氏の授業力もさることながら、ニートを晒される役割を担った彼らがいたからこそ番組が成立していることにもしっかりと目を向け、もう一度この番組を見直したい。


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