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宗教団体の会員と対談 やはり宗教と価値観が合わないと感じた理由

先日、宗教団体に入られている男性2人と話す機会をセッティングしてもらい、2〜3時間ほど対談することになった。私は以前からこのサイトで述べているように、自分自身の考えと宗教との価値観は到底合わないと思っている。しかし、価値観が合わない人と話すことは嫌いではない。顔見知り程度だったが、異なる意見を持つ人間にも寛容な40代の男性であることは知っていたため、急だったが良い機会だと思って話をしてみることにした。

 

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予め言うが、私が感じたことをそのまま書く記事になるので、偏向記事になってしまうことを前提に読んでもらいたい。

 

お二人は若い頃から現在所属する宗教団体に入り、ずっと信仰されてきたようだ。入会した理由は、親が信仰していたなどの影響が大きかったという。そして、実際に願ったことが叶ったり、現在の環境に至るにはその宗教団体の信仰の存在が大きいと話してくれた。

 

その宗教の最大の目的は「世界平和」だというが、他宗教に対しては「浅い宗教」という認識を持っておられ、当たり前だが対立はするようだ。対立はするものの対談をすることは欠かさないと言う。それは素直に素晴らしいことだと思った。浅いという認識があると当然対立してしまう要因にはなるが、その宗教を信仰する上ではやむを得ない部分はあるだろう。それでも「自分はこう思う」をお互いに主張し合い、他のプライベートな部分では良好な関係を築けるラグビーの「ノーサイド」のような人間関係が私の最高の理想形である。この対談も、この二人ならそうしてくれるだろうと信じて話をすることに決めたのだ。

 

その意味でこの対談はとても私自身にとって有意義な時間だったと思うが、「宗教」そのものに関しては疑問は残った。私自身の考えとして良い考えはなんでも吸収し、悪い考えは切り捨てる。どんな組織でも、どんなに偉い人が考えた教義でも、良い部分もあれば悪い部分もある。それを前提で自分の中で取捨選択していくべきだと考えている。もし仮に宗教団体に入るとすれば、1つの団体に加入するよりも、様々な宗教団体に加入し、良いものや悪いものを丁寧に自分のなかで考え、取捨選択していくのが理想だ。そのために同時に複数の宗教団体に入ることは出来ないのかと伝えると「出来ない」と言われた。複数の宗教団体に属すというのは「恋愛でいう浮気」のようなものだからという。

 

恋愛でいう浮気のようなものだというなら、他の宗教にも同時に属すことは「裏切り」という感覚に近いのだろう。そうするとその宗教団体の考えが「絶対的に正しい」と思わなければならなくなる。その時点で、絶対的な正しさはないと考える私の価値観とやはり合わない。もちろん宗教間の対立もあって、同時に信仰を許せば宗教団体としての統率や存続が危ぶまれるリスクもあるし、信仰は1つであるべきだとする宗教観も未だ根強いのだろう。それはなんとなく理解することもできるが、しかし、その考えでは対立をうむことになりはしないか。1つの教えを絶対的に正しいと考えるようになれば、自らの間違いは認めにくい状況に陥り、様々な考えを認めなくなる。それは平和とはほど遠くなるように思える。全員がその宗教の考えを正しいと思うことはないのだから。

 

もう1つは「不思議な力の正体」だ。先述した「願いが叶ったり、幸せになったりする」という力である。その説明を二人の男性のうちの一人が教えてくれた。その人は宗教団体の地域グループのなかで幹部を務めておられ、造詣が深く、私の知らない知識をたくさん持っていらっしゃる。知識量や議論だと私レベルでは到底太刀打ち出来ず、話していて勉強になる方だ。その方が「不思議な力」に納得がいかない私に次のように例えてくれた。「電気のスイッチを押せば光る。でも、どうして光るのかはみんなあんまりよくわかっていない。それでも光ると分かっているから押す。この宗教も同じで幸せになるからみんなやる。単純なこと」だという。

 

なるほど。さすがに例えがうまい。「とりあえずやってみないと分からない。やらないと損するのはあなただ」というようなものである。ただ、その例えでいうならば「薄毛に効く育毛剤」や「ネットワークビジネス」でも同じ主張はされる。同一視すると怒られてしまうのだろうが、受け手側すれば納得できないという感覚では同じだ。私が思うにその不思議な力の正体は、人間としての居場所だ。人間にとって精神的な問題は、一般の人が思っている以上に私生活にも影響を及ぼす。人から認められる場所、自分の居場所があるかどうかで、「頑張ろうとする気持ち」や「まっとうに生きよう」とする気持ちも大きく変わる。同じ団体に属し、同じ仲間として活動すれば多くの人からその存在が認められることで、精神的に安定すると考えられる。それが不思議の力の正体であり、彼らが「この宗教をやっていなかったらプー太郎になっていたかも」という理由ではないだろうか。もし宗教のメリットを考えるとすれば、その宗教団体の一員となれば誰もが認められるという点であり、その団体を存続・結束を強めるための「教義」や「ありがたみ」などの目には見えない強力な力を有している点である。

 

そうしたメリットはあるものの、納得いく説明がされないことや、さまざまな考えを得る機会を認めない不自由さや、他の考えは認めないような姿勢には私は納得がいかなかった。また、機関紙を見たり、集会を私自身の目で見たこともあるが、「良いこと」ばかりが取り上げられたり、発表されているようで、どんな団体にしても必ずある「悪い面」や「負の面」に関して、とても目が向けられる環境とは思えなかった。

 

ただ、自分の知らなかったことをこの対談を通じて知ることができたのは、とても勉強になったし、まだ私自身理解不足なところも当然あるだろう。今後も機会があれば、たとえ理解できなくても、こうした対談は続けたい。


  

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